霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

魂の叫び

「縁」について

どんなところにも、

「縁」はあると思います。
ただ、
その「縁」をどう生かすかは、
自分にかかってくると思います。
「縁」には、
「自分にとり」良い人と会うだけでなく、
「自分にとり」悪い人と会うということもあると思います。
「自分にとり」悪い人との「縁」にも意味があります。
それは、
気付かずに自分自身が、
そのような「嫌な」人と同じ考えや、
振る舞いをしていることを、
「鏡」のように見せられていることがあります。
また、
「嫌な」人を見ることで、
自分にはない「人」の存在を「許す」という、自分自身の「正義」に拘った考え方を再考する機会を与えられているのかもしれません。
確かに、
「自分」にとり、
「悪い」人や、
「嫌な」人に会いたくはないと、
思うかもしれません。
しかし、
それは、
今の「自分自身」にとり、
必要不可欠だからこそ、
会うのです。
そして、
その「縁」から、
逃げても、
再度違う形で、
再び「縁」として、
必ず、出会います。
人や時間、場所は違うかもしれませんが。
大切なのは、
自分を振り返り、
自分というものの内部に「悪い」「嫌だ」と思うものがないかを、
しっかりと見つめていくこと。
そして、
もし自分にそのような部分があれば、… 続きを読む

人生ワクワクドキドキ楽しくチャレンジ

私は、

物事を始めることや夢の実行に、躊躇したり、負けたときのことを考えすぎるべきではないと思います。
物事を始めよう・夢を実現しようと思った時に、物事や夢 は全て手に届く範囲にあります。
物事・夢は自分の考えや達成できることしか浮かびません。
社会学者ヴォードリャールは
「我々は閉ざされた輪の中にある。考えは閉ざされた輪の中でしか生み出されない。閉ざされた輪をはみ出すものは、狂人しかありえない。」
のようなことを言っています。
簡単にいうと、
人は社会の輪の中で生きているので、その範囲の中でしか考えられないということです。
社会にとらわれないのは、狂人だけだと。
狂人は社会の常識が通用せず、自分の世界に生きているからですね。
私は閉ざされた輪の外にいて、輪を広げていくのは、芸術家もだと思っています。
詩人・芸術家は草原に道を拓き、時に同時代の人間に理解されないからです。
そして、詩人・芸術家の拓いた道を我々は、経済学で通ります。
経済学は時代と同時にスライドしていきます。
法学は、皆さんの常識になった後に来ます。
だから、法学は30年から50年遅れてやってきます。
何故なら、皆さんに理解されない法律は誰もが納得しないし、守らないからです。
物事を始めるに、飛び込めばいいと思います。
外から眺める景色と内から眺める景色は違います。
自分に合わなかったとして、すぐに止めたとしても、経験は必ず生きます。
インターネットで検索して、わかった気になるよりも、百倍、人の心が分かる人間になると思います。
実家の新しい子犬です。
さくら(ミニチュアダックス シェーディッド・イエロー 2018年2月27日生まれ  女の子)
もも(ミニチュアダックス ブラック・イエロー 2018年3月10日生まれ 女の子)
です。
二人は、私が昨年、母親にプレゼントした カナナリュックで遊びだしました。
(カナナリュックは 世界不思議発見のミステリーハンター竹内海奈江 さんがプロデュースしているリュックでポケット等が沢山あり、ミステリーハンターだけにお出掛けに便利なリュックです。今年はピンクをプレゼントしました。さらに改良されていました。オススメです。)
二人とも噛んで引っ張ります。… 続きを読む

桃原章浩より皆様へ

この数日にわたり、ある特定の人間が私のアメーバブログを乗っ取り、様々な虚偽を書き込み、皆様を混乱させて、また、ご心配をさせてしまい大変申し訳ございません。

クライアントの皆様から、ご心配の電話やメールを頂き、私は皆様に大切にされているなぁーと本当に感謝しております。
また、必死に虚偽のブログを削除して対応してくれた誠実な事務員がおり、感謝しております。
このような皆様や事務員とのご縁を大切にして、より皆様のお役に立つことが出来るように精進したいと思います。
私が再確認したのは、やはり「感謝と真心と謙虚」だと思います。
何事にも感謝が出来ないときは、やはり、心が厳しく辛い状態にあるのだと思います。
また、真心が曇っていては、物事を有りのままに見ることが出来ないのだと思います。
さらに、謙虚な気持ちをがないと、全てを上から見下し、みすみす自分へのアドバイスやチャンスを失ってしまうのだと思います。
私は、本当にクライアントや様々な方々に囲まれて幸せだと思っております。
感謝の言葉しかございません。
ブログを荒らしている人間やその取り巻きは残念ながら、罪悪感や反省はないと思います。
また、自分で何か事業を立ち上げて、責任をとる心構えも一切ないのだと思います。
単に、人のものを奪えばいい、利用すればいいと考えているのだと思います。
つまり、クライアントを金づると見なしているのです。
私はこのような考え方が一番嫌いです。
また、桃原鑑定事務所の方針と対極の考えにあると思っております。
クライアントに寄り添い、厳しいことも言ったりしますが、クライアントを第一に考えていくのが私の考え方です。
また、クライアントを見下すなどの考えはなく、人には様々な悩みがあり重さも異なり、また、辛さも異なる。
そして、そのような状況で頑張っておられるクライアントに敬意を感じ、出来うる限りの解決策を提示するのが、私の役目だと思っております。
私はあくまでも人間に過ぎません。
占いもできません。
単に、神か、仏か、宇宙からかのメッセージを伝える一霊能者に過ぎません。
全知全能の神ではないからこそ、日々努力し、勉強するのが私です。
全知全能と完成を決めた瞬間に、私は堕落していくと考えております。
ブログを荒らした個人と、その取り巻きは、ブログを荒らした個人が彼女が出来たことで有頂天になり、何をしても良いと勘違いなさっているのだと思います。
現に、彼らは私の虚偽の噂を彼らの両親や友人に流しています。
しかし、嘘の上に成り立ったものが長く続くわけはありません。
また、その嘘が真実と誤解されるのであれば、私の人格に問題があるのだと思います。
そのような場合は、謙虚に私の人格を直していかねばならないと思っております。
ブログを荒らした個人やその取り巻きの言うように、私には彼女はおりません。
それが私の人格の欠落だと考えて発言を成されるのであれば、お好きになされば良いと思います。
ただ、私のブログを使うのは卑劣な手段だと考えおります。
私が彼女をつくるつくらないは、私がどう考え、どう思っているか、が基盤にあります。
私は、彼女をつくる以上は、人生をともにして、楽しみは2倍、悲しみ・辛さは半分にして生きていきたいと考えています。
そして、私を彼氏と選んで下さったことに感謝して、大切にしていきたいと思っております。
このような考えは、私が私のブログで述べることであり、彼らが決めつけ、発言する場ではないと思います。
私に反論・批判があるのであれば、自分のブログで堂々と述べれば良いと思います。
今回のことで、クライアントや皆様から、優しい言葉をかけられました。
本当に有難いことです。
ただ、私の本心は、… 続きを読む

神宮に参る朝に、鳥が建物のベランダにおりました。
何度も、翔ぼうとして、透明の板に当たります。
そして、何度も繰り返します。
鳥には、透明な板の存在がわからないのです。

鳥は後ろに下がれば翔べるはずです。
しかし、ドンドン前に出てしまいます。
尚更、翔べません。
私の好きな哲学者の一人、ヴィトゲンシュタインは言いました。
「哲学者は、窓から外を眺めている。部屋の扉は開いているのに。」
つまり、必死に外にとらわれて、窓にこだわり、振り返って部屋の扉から出て行くことを忘れているということです。
我々、人間も目先のことにとらわれて、大局を見失うことがあると思います。
私は、鳥を見てそう感じました。
鳥を出してあげようと、塵取りか何かを探しに行き、戻って来たら、鳥は既にいませんでした。
私には、この鳥を現している人間が誰か、すぐわかりました。
その方が、羽ばたくことを祈っております。

夢への轍

夢に破れることはあります。

しかし、私はそれは素晴らしいことでもあると思います。
夢を抱けたがゆえに、破れることが出来たのですから。
夢さえ、描けない人には、破れることもなく、また、夢をみることも出来ないと思います。
夢に年はありません。
また夢を行動に移すか、移さないかもまた、年は関係ありません。
遅い、遅くないは、夢を負うものには関係ないのです。
大坂の陣で散った真田幸村は46歳で行動を起こしました。
また、同じ大坂の陣で、天下を諦めた伊達政宗もくしくも、同じ年齢の46歳でした。
「夢って何でしょうか?」
よく、予備校講師時代に生徒から質問されました。
夢を描くことが、いきなり出来なくても良いのではないでしょうか?
小さな好き、やりたいことが積み重なって、ある日、夢になるのだと思います。
その夢へ向かうか、行動に移すかは、別ですが。
そして、定年退職した方、「老人」と呼ばれる方がよく、
「昔は良かった」
と言います。
なら、昔を今、実現すればいいではないですか。
過去を懐かしみ、哀れむだけなら誰でもできます。
そのような人々が、若者に「自分の夢」をおしつけたり、説教するのは見苦しいです。
自分の夢に向かえばよいのです。
夢に向かう人には、他人を見下している暇はありません。
ただ、上を見つめるのみです。
漫画「あさきゆめみし」で、紫の上が述べる言葉があります。
「私は、もう30歳になってしまった。お婆ちゃんだわ」と。
今、30歳の人を見て、老人とは思わないでしょう。
老人も時代によって変わるものなのです。
定年退職した方、「老人」と呼ばれる方々にお願いがあります。
どうか、若者の夢を否定しないでください。
また、馬鹿にするのではなく、自らも熱く熱く夢を語ってください。
夢を諦めたたときに、人は「老人」になるのではないでしょうか。
それは、若者へと受け継がれていく、夢への轍となるのですから。