夢に破れることはあります。
しかし、私はそれは素晴らしいことでもあると思います。
夢を抱けたがゆえに、破れることが出来たのですから。
夢さえ、描けない人には、破れることもなく、また、夢をみることも出来ないと思います。
夢に年はありません。
また夢を行動に移すか、移さないかもまた、年は関係ありません。
遅い、遅くないは、夢を負うものには関係ないのです。
大坂の陣で散った真田幸村は46歳で行動を起こしました。
また、同じ大坂の陣で、天下を諦めた伊達政宗もくしくも、同じ年齢の46歳でした。
「夢って何でしょうか?」
よく、予備校講師時代に生徒から質問されました。
夢を描くことが、いきなり出来なくても良いのではないでしょうか?
小さな好き、やりたいことが積み重なって、ある日、夢になるのだと思います。
その夢へ向かうか、行動に移すかは、別ですが。
そして、定年退職した方、「老人」と呼ばれる方がよく、
「昔は良かった」
と言います。
なら、昔を今、実現すればいいではないですか。
過去を懐かしみ、哀れむだけなら誰でもできます。
そのような人々が、若者に「自分の夢」をおしつけたり、説教するのは見苦しいです。
自分の夢に向かえばよいのです。
夢に向かう人には、他人を見下している暇はありません。
ただ、上を見つめるのみです。
漫画「あさきゆめみし」で、紫の上が述べる言葉があります。
「私は、もう30歳になってしまった。お婆ちゃんだわ」と。
今、30歳の人を見て、老人とは思わないでしょう。
老人も時代によって変わるものなのです。
定年退職した方、「老人」と呼ばれる方々にお願いがあります。
どうか、若者の夢を否定しないでください。
また、馬鹿にするのではなく、自らも熱く熱く夢を語ってください。
夢を諦めたたときに、人は「老人」になるのではないでしょうか。
それは、若者へと受け継がれていく、夢への轍となるのですから。