霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

霊言

人を思えることの大切さ

自分自身が辛いときに、
他の人のことを大切に想えるか、って、
とても大切なことだと思います。

自分がしんどいとき、
人に話をきいてもらいたい、
私はこんなにしんどい、
あなたは気楽でいい、
といった態度をとる人がいます。
でも、
人にはいわないだけで、
皆さんそれなりに悩みがあるわけです。
たちの悪い人は、
悩みを我慢している人は、
悩みがないと勝手に判断してしまいます。
私の方が辛い。
だから、話を聞け!
と誰かれ構わず、絡みます。
その結果、人から嫌われます。
そして、相手にもされなくなります。
そうすると、
私は不幸!と、
ますます行動をとめれず、
自分の話を聞いてくれない、
自分に従わない人間を攻撃したりして、
ストレスを発散します。
でも、それって不毛なのでは?
不幸自慢したところで、
不幸が消えるわけでもない。
ならば、
不幸の原因や、
不幸に感じる自分の気持ちを、
しっかりと分析、観察していく方が、
人生楽しく生きれると思います。
不幸や辛いときにあって、
小さな幸せを見つけれる人は、幸せだと思います。
また、
不幸になりやすい人は、
自ら、「ごめんなさい」と、
謝ることができない人も多いと思います。
間違いを謝ることは、恥ではありません。… 続きを読む

ふと思うこと

ニュースで、人の死を見ても、

人はあまり実感しない。
プレスコードで、
「死」にまつわるものは、
遠ざけられているから。
子どもの頃の
日航機墜落の雑誌の写真は、
「死」が濃縮されていた。
今、人が「死」を感じるのは、葬儀くらいだろう。
身をもって、実感するのは、
自らが病気になった時だと思う。
しかし、「死」から抜け出すと、
人はまた忘れていく。
忘れたいのかもしれない。
人の死で、
「無念」さ
「無力」さ
を感じることは沢山ある。
自分は万能ではないのだ。
だからこそ、悔いのないように生きるしかない。
そして、
霊的には、
そのことを、
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものかは、確実に見ている。
ご先祖もしっかりと見ている。
「助からない」
というときに、
ご先祖が、
こちらに引っ張りかえしたのもみたことがある。
葬儀に、
ご先祖が来て、
亡くなったのがわからない子孫を、
あの世へ連れて行ったのもみた。
我々は確実に、魂、名前、など、ご先祖から受け継いでいる。
そのご先祖を大切に想わないのは、何か寂しい気持ちになる。
ご先祖は見返りを求めない。
だから、願い事ばかりしていったら、ご先祖の力はすり減る。
たまには、
こちらからも、ご先祖に感謝を送ってあげて欲しい。
そうやって、ご先祖にも、謙虚に接したいと思う。
神様や仏様やご先祖は、いつでも自分の願い事を聞いてくれる便利なものではない。
神や仏やご先祖は、自動販売機でもない。
自分の思い通りに動かそうという、傲慢な気持ちを捨て、謙虚になったときに通じれるのではないだろうか。

お金

「お金」が欲しいと相談を良く受けます。
「お金」というものをまず、わかって欲しいと思います。

「お金」を「儲ける」人がいることは、「お金」を「損」している人もいることです。
つまり、「お金」には「喜怒哀楽」の相反する感情がつきまとうものです。
しかも、「お金」への強い想いは、「念」を生みます。
だから、「お金」を儲けたいのであれば、「淀み」をなくすことが大切だと「神様」は言います。
「寄付をすること」「ボランティアすること」「仏壇に花を飼ってくること」様々な、「淀み」を流して、流れをよくする方法があります。
例えば、コップに水が一杯入っているとします。
もう水は入りません。
コップの水を流すと、また水は入れることができます。
もし、コップの水が入れ替わらないなら、水は淀んでいくでしょう。
その結果、全ての水を捨てなくてはならなくなります。
「神様」は「お金」もコップの水と同じことだと話します。
上手く流れてこそ、再び入るのです。
「お金」を貯めることだけに、必死になって、「お金」の「奴隷」にならないようにしてくださいね。

優しい 愛 ガンダーラ

私はガンダーラ美術が好きです。

ギリシア芸術と仏経が融合した美しい美術。
玄奘三蔵の記した「大唐西域記」にも、ガンダーラは出てきます。
玄奘三蔵は、「西遊記」のモデルの三蔵法師です。
テレビドラマ「西遊記」で、ゴダイゴが、「ガンダーラ」を歌っています。
玄奘三蔵の弟子が起こした法相宗は、日本にはいります。今は興福寺や薬師寺など奈良の寺院が有名です。
また、法相宗の徳一と天台宗の最澄は激しい論争をしたことで、有名です。
その仏経の都 ガンダーラ。
今は地図の上にはありません。
また、現在生きる人々の記憶にもありません。
遥か昔に、栄華を誇ったガンダーラですら。
自分の目に見えるものが全てではありません。
自分の目に見えないところにこそ、大事なことが隠れています。
人間関係でも。
「優しい人がいい」と良く、皆さんは言います。
しかし、優しさを時に間違えている人もいます。
自分の言うことを聞いてくれる人が優しい、と。
また、自分を誉めてくれる人が優しい、と。
正に、「巧言令色少なきかな仁」。
優しいとは時に辛さも含むものです。
その人のために、あえて厳しいことを言うことも、優しいのです。
それは、「愛」にも共通するのではないでしょうか?
表情で示す愛。
嫌われても好きな人を思うがゆえの厳しい愛。
親のように、見守る愛。
親という字は、木の上に立って見ているのです。
木の上の方が地面にいるより、ものを広く見渡せます。
時に、木の上から、声を出すこともありましょう。
また、あえて、心を鬼にして、沈黙することもありましょう。
しかし、全て、愛するがゆえの行為なのです。
愛するがゆえの見守る愛なのです。
また、別れも愛の1つかもしれません。
優しい・愛
と簡単に言葉に出来るかもしれません。
しかし、
簡単に、自分の目に見えることだけを信じるの
ではなく、
目に見えないものにも、配慮して感じ取っていこうとすること。
きっと、それが、幸せに繋がっていくのだと思います。

もうひとつの収穫祭

高校時代の英語の先生が、

「過ちを犯すは人の常
    それを許すは神の常」
とよく述べていました。
(しかし、この先生は酒癖が悪く、酔っぱらって学校に乱入してガラスケースを割る、日曜に深酒をして月曜日は学校に来ない等の行為を繰り返し、一方、生徒対しては、いい加減な態度をとり続けたのでした。)
人は、人を裁くのが好きです。
しかも、単なるうわさだけで。
本当のことは知らなかったり、知ろうとしなかったりしながら。
裁く人の「本当」のことを知ってしまうことは、裁く人の心も背負ってしまうことになります。
それは、苦しいことになるでしょう。
学生時代に、恋をしました。
その女性に告白しましたが、フラれました。
完全な玉砕でした。
ただ、その女性への想いは忘れられず、好きなことを心に封印して、その女性の友人として、話をよく聞いていました。
好きな女性が、いつも付き合う男性は、浮気をよくする人ばかりでした。
そして、よく好きな女性から話を聞いていました。
私自身、好きな女性やその彼氏を裁こうとしてしまったことがあります。
また、好きな女性やその彼氏を裁こうとしていることに気づき、自分自身の心が傷付いたこともあります。
好きな女性を見送りながら、心の中で、「僕ならきっと大切にするから」と叫んでいました。
真夜中にバイクを走らせ、山下公園に行き流れ行く景色をみていました。
明け方の桜木町で、好きな彼女の姿を探していました。
こんなところにいるはずもないのに。
1996年の2月のことでした。
その時期に、関西の友人が日吉のアパートに来ました。
関西では、
山崎まさよしさんの、「One more time , One more chance 」がFM805で流行っているからと見に来たのです。
まだ、桜木町には東急東横線の駅がありました。
赤レンガ倉庫等、周辺は整備されていませんでした。
友達は、みな
「えっ、これが桜木町」と言っていました。
駅でみんなが写真をとったり。… 続きを読む