霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

もうひとつの収穫祭

高校時代の英語の先生が、

「過ちを犯すは人の常
    それを許すは神の常」
とよく述べていました。
(しかし、この先生は酒癖が悪く、酔っぱらって学校に乱入してガラスケースを割る、日曜に深酒をして月曜日は学校に来ない等の行為を繰り返し、一方、生徒対しては、いい加減な態度をとり続けたのでした。)
人は、人を裁くのが好きです。
しかも、単なるうわさだけで。
本当のことは知らなかったり、知ろうとしなかったりしながら。
裁く人の「本当」のことを知ってしまうことは、裁く人の心も背負ってしまうことになります。
それは、苦しいことになるでしょう。
学生時代に、恋をしました。
その女性に告白しましたが、フラれました。
完全な玉砕でした。
ただ、その女性への想いは忘れられず、好きなことを心に封印して、その女性の友人として、話をよく聞いていました。
好きな女性が、いつも付き合う男性は、浮気をよくする人ばかりでした。
そして、よく好きな女性から話を聞いていました。
私自身、好きな女性やその彼氏を裁こうとしてしまったことがあります。
また、好きな女性やその彼氏を裁こうとしていることに気づき、自分自身の心が傷付いたこともあります。
好きな女性を見送りながら、心の中で、「僕ならきっと大切にするから」と叫んでいました。
真夜中にバイクを走らせ、山下公園に行き流れ行く景色をみていました。
明け方の桜木町で、好きな彼女の姿を探していました。
こんなところにいるはずもないのに。
1996年の2月のことでした。
その時期に、関西の友人が日吉のアパートに来ました。
関西では、
山崎まさよしさんの、「One more time , One more chance 」がFM805で流行っているからと見に来たのです。
まだ、桜木町には東急東横線の駅がありました。
赤レンガ倉庫等、周辺は整備されていませんでした。
友達は、みな
「えっ、これが桜木町」と言っていました。
駅でみんなが写真をとったり。
私は、たまたま大学の友人と入ったお店にポスターが張ってありました。
タイトルは、「月とキャベツ」。
ビデオを借りてきて、ここに山崎まさよしさんの歌が使われていました。
また、主役で、山崎まさよしさんも出ていました。
恋愛の映画でした。
いい、映画だなぁーと、今でもシーンを覚えています。
悲しい恋愛の話でした。
まさに、One more time , One more chance  という言葉の通りでした。
人は人を簡単に裁こうとしてしまいます。
また、人は人のうわさ話が好きです。
「うわさ話は賢者の耳まで」
という言葉があります。
賢者はうわさ話を簡単に信用しないし、賢者はうわさ話を語らない、という意味です。
人には他人には言えない思いがあります。
また、本人にとっては大変な思いでも、他の人から見たら些細に思うこともあると思います。
だからこそ、簡単に人を裁くことは良くないと私、個人は思っています。
そう思っていても、人間ですから「過ちは人の常」。
様々な価値観を個性と呼びます。
ただ、それは、「わがまま」とは違います。
必ず、自分自身が責任を負わねばならないのです。
現実世界で、人に罪を「負わせる」ことは可能です。
また、皆さんが理不尽に感じることも、このことだと思います。
しかし、 残念ながら、霊的世界では、自分の罪は、自分しか負えません。
霊能者、占い師、誰も代わりに負うことはできません。
「自分の蒔いた種は自分しか刈り取ることが出来ないのです」
そして、蒔いた種が多ければ多い程、実がたわわに実ってしまうのです。
良い種を蒔けば、良い実が実ります。
悪い種を蒔けば、悪い種が実ります。
スタインベックが、聖書の1節から、タイトルをつけた名作、「怒りのぶどう」のように。
(この小説は、最近の村上春樹作品のように、話が交互に展開されていきます。)
時間が立てばたつほど、実は、大きなものになります。
不安を煽っているのではありません。
解決策は、単純明快。
良い種を蒔けば、良いだけです。
私は、そんな皆さんのお役に立てれば幸いです。
種を蒔くのは、あくまでも、皆さん個人です。