自分自身が辛いときに、
他の人のことを大切に想えるか、って、
とても大切なことだと思います。
自分がしんどいとき、
人に話をきいてもらいたい、
私はこんなにしんどい、
あなたは気楽でいい、
といった態度をとる人がいます。
でも、
人にはいわないだけで、
皆さんそれなりに悩みがあるわけです。
たちの悪い人は、
悩みを我慢している人は、
悩みがないと勝手に判断してしまいます。
私の方が辛い。
だから、話を聞け!
と誰かれ構わず、絡みます。
その結果、人から嫌われます。
そして、相手にもされなくなります。
そうすると、
私は不幸!と、
ますます行動をとめれず、
自分の話を聞いてくれない、
自分に従わない人間を攻撃したりして、
ストレスを発散します。
でも、それって不毛なのでは?
不幸自慢したところで、
不幸が消えるわけでもない。
ならば、
不幸の原因や、
不幸に感じる自分の気持ちを、
しっかりと分析、観察していく方が、
人生楽しく生きれると思います。
不幸や辛いときにあって、
小さな幸せを見つけれる人は、幸せだと思います。
また、
不幸になりやすい人は、
自ら、「ごめんなさい」と、
謝ることができない人も多いと思います。
間違いを謝ることは、恥ではありません。
プライドは、自分を支えるもの。
うぬぼれは、人を叩くもの。
そのような人は、
プライドとうぬぼれを間違えていて、
うぬぼれで他の人を一段低く見てしまうのではないでしょうか?
そのような人が、
神仏にすがっても、
願い事を聞いてもらえることは少ない。
その結果、神仏の悪口を言う。
あそこの神様は願い事をきいてくれない、とか。
でも、
神仏は、
その人々の願い事を聞くために存在しているわけではありません。
神仏からしたら、
いきなり土足であがってきて、
私の願い事をきけ!と言われているようなものです。
お願いするなら、
まずは、
自分自身の心を穏やかにして
神仏を敬ってから、
という行為があってではないでしょうか?
他人にできないのに、
神仏には無理強いするのは、
ちょっと筋が違うなぁーと思います。
神仏って、他人以下に好き勝手にしていいものって。