霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

日本の神々の系譜 聖徳太子 秦氏

聖徳太子は一般に仏教を信奉したとされる。
そこに日本の神々が映りにくい。

聖徳太子は仏教・道教・神道を用いて、大王を天皇とする国家体制を造り上げようとした人間である。

天皇とは北極星を中心とする北辰信仰である。
「天子南面す」とする、北を一番に考える四神の信仰でもある。

北の玄武は黒。冬を意味する。全ての生命の生死を司る場所である。
東の青龍は、青・緑色。春を意味する。
南の朱雀は、朱・赤。夏を意味する。
西の白虎は、白。秋を意味する。

これに応じて、聖徳太子の建てたとされる寺院は成立している。
現在の法隆寺は、もとは、若草寺と呼ばれ、四天王寺伽藍と同じように南を入り口として、北に一直線に伸びている。

四神とは、四神に護られた土地を素晴らしいものとする中国の道教思想である。
北の玄武は山
東の青龍は川
南の朱雀は池沼
西の白虎は街道

聖徳太子創建の寺をみてみる。
四天王寺
北 千里丘陵ー山
東 生駒山から流れてくる水 そして、生駒山の緑の色ー水と朱雀の色ー川
南 河内湖と大和川ー池沼
西 難波津ー海外からの使節を迎えるー海外からの街道

法隆寺
北 矢田丘陵ー山
東 冨雄川ー川
南 大和の合流点ー池沼
西 生駒から大阪への街道ー街道

と一致するのである。

また、四天王寺は、境内に物部守屋の祠があり、鬼門を牛王尊や上之宮神社を配置している。また西に鳥居もある。
さらに、四天王寺の周りには七宮があったとされる。
そして、非業の死をとげた祟峻天皇も祀ってある。

法隆寺は、西の当時の境内であった龍田神社との相に藤ノ木古墳がある。
この古墳は、聖徳太子の叔父である、非業の死をとげた皇子二人の墓とされている。
また、東の夢殿には、救世観音が安置されている。
この救世観音は、聖徳太子の生き写しとされ、フェノロサや岡倉天心が白い布でぐるぐる巻きにされ、頭頂部に釘を打たれていた状態から、開いたと言われている。
また、その時、法隆寺の僧侶達は逃げ出したという。

ともかく、聖徳太子にはつねに「死者の鎮魂」がつきまとうのである。
また、境内への「魂の封じ込め」のように考えられるのである。

同時期の、飛鳥寺には、そのようなものは全く見当たらないのと比較してである。

仏教であれば、そのような「死者の魂の甦り」を防ぐ、「死者の鎮魂」というものは、必要ないはずである。
強く、出雲・物部の神々を意識していたと考えられる。

私は、聖徳太子の一族、上宮王家が滅ぼされた原因は、弥勒菩薩にあると考えている。

弥勒菩薩は、ミトラ神から転換したとも言われる、56億7000万年後に現れ、全てのものを救うとされる菩薩である。
これは、いわゆるメシア、救世主のことである。
この弥勒菩薩信仰は、新羅の花郎の信仰対象である。
そこで、新羅出身の秦河勝に詣らせて、奈良の百済仏教とは異なる、秘密的な仏教を広隆寺で研究させた。
もちろん、呪術的なことも含めて。

また、上宮王家は、弥勒菩薩を祀っているからこそ、自分たちがメシアだと強く考え、蘇我大郎鞍作(蘇我入鹿)に対抗していったのである。
そして、一族全員の自害を山背大兄皇子が選んだのも、弥勒菩薩とともに降臨できると考えていたからである。