霊能力者 »
伊雑宮が日本を代表する聖地です。
私も実際に詣りましたが、非常に土地の力が強いのです。
だからこそ、霊能力がある方は、自分の力に、強い土地の力をのせれるのです。
また、自分自身の霊能力を最大限に発揮できるのです。
だからこそ、強い土地の力の場所に、神様を祀り、暴走も抑えれると考えたのだと思います。
私は、伊勢の内宮に十字架が埋まっているとか、聖書の失われし氏族などは信じてません。
内宮を霊視しても、十字架など埋まってませんし、キリスト教とは関係ありません。
神輿が、アークだとも思いません。
アークを担いでいる姿が神輿を担いでいる姿と同じと言われていますが、大事なもので重いものは棒をつけて、みんなで担ぐのが当然だと思います。
たまたま似ているものを後出しじゃん拳のようにこじつけるのは筋違いだと思います。
伊勢とキリストをくっつけたがる人は沢山います。
奄美大島でも、天皇家はイスラエルから来たと言って、論争を挑んできた方もいました。
しかし、私が内宮で尋ねたところ、はっきりと「バイカル湖」を指し示されました。
天皇家はバイカル湖から、朝鮮半島の南部を渡り、日本に来たことは、兼がね書いております。
そしてそのような聖地は実は「伊雑宮」以外にもあります。
まず、「高野山」です。
高野山も土地の力が非常に強いのです。
だからこそ、日本でも最大級の霊能力を持っている弘法大師も、その土地をわざわざ選んだのです。
そして、様々な願いを叶えようとしたのです。
最後は、「沖縄の御嶽」です。
御嶽は、霊能力者でないと立ち入りを拒まれる場所もあります。
しかし、土地の力も非常に強いのです。
土地の力が強いと言うことから、その力を使わせていただくには、こちらも其れなりの力や能力が必要となるのです。
だから、あることを生み出すこともできれば、消してしまうこともできるのです。
両極端にある土地、「生と死」を意味するのです。
高野山も、弥勒菩薩下生とともに、死んだ人間が生き返る、「生と死」の土地として。
そして、御嶽も、ある御嶽は国を生むことを意味し、またある御嶽は神の降臨を意味し、「生と死」を意味しているのです。
だからこそ、伊勢神宮や伊雑宮には、天皇は自ら参拝しませんでした。初めて参拝したのは、明治天皇です。
高野山にも、天皇家は参拝しませんでした。
熊野には天皇家はわざわざ何度も詣ったのにです。
御嶽にも、王は参拝しませんでした。
土地の力が強く、「生と死」を生み出すことの出来る土地には、権力者は入らなかったのです。
「生」に転がればいいのですが、「死」に転がった場合は最低だからです。
だからこそ、霊能力のある人間を遣い行かせたのです。
また、霊能力者も、失敗した場合、土地に負けてしまうのです。
そのような危険を省みず、行うことが真の霊能力者には必要となるのです。
そうすることで、強い土地の力に負けないように、日々自分を研鑽し己を高めていく必要があります。
それを止めた場合は、霊能力者とは言えないでしょう。
霊能力者についての考えは次回述べさせて頂きます。
わたしにとり、土地の力が強いことが大切であると考えております。
わたしは、それを仏と呼ぶか神と呼ぶかは、個ケ人の考えに任せております。
わたしは、宗教者のようにこれが仏でないとダメとか、これが神だ。とか、そのような縛りに制約されて、自分の無限の可能性を閉ざすことを恐れます。
古代人は、土地の力が強いところを見つけては参拝し、土地の力が強いからこそ力の強い神を祀ったのだと思います。
わたしには、神が先にあって土地がついてくるのではなく、
力の強い「土地・清らかな場所」という「聖地」があって、
そしてその「土地」に神や仏を呼んだのだと思います。