霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

因果応報

世の中には、

変わった人がいる。

人の悪口を言いながら、

悪口を言っている人の友人の女性を口説く人間。

そして、相手にされず、腹を立てる。

そもそも、悪口を言っている人の友人なんだから、悪口を聞かせても意味がない。

自分が嫌われるだけだと、何故わからないのだろうか?

人にあれこれ、仕事を頼むのに、

仕事の代金は一切支払わず、

ありがとうございました

とメールで一方的に打ち切る人。

自分が同じことをされたら、

一番怒るだろうに。

それなのに、

平気でメールをしてきて、

仕事を頼む。

どういう神経をしているのだろうか?

僕には、代金も支払わない、

一方的に使うだけ使って捨てる。

しかし、

他者の所では、

僕から得た情報を利用している。

まともな神経ではない。

僕は、情報を教え、働き、勉強もし、その場にも行き、時間や費用も費やす。

それを

万引きしているのと同じである。

まさに、

時間泥棒。

体力泥棒。

知識泥棒。

をやっている。

それなのに、

その人達は、

「自分はきちんとしている」

「誰よりも先祖を大切にしている」

と平気で言う。

意味がわからない。

泥棒がいる。

人から盗みまくる。

しかし、

「先祖は大切にしている」

「自分はきちんとしている」

と、周りの人々や神仏に言う。

愚か者の極みである。

泥棒をしていて、

一切、反省せず、

ご先祖を大切にしているから、

自分は泥棒し続けて良いと考えているからこそ、

愚かな発言が出来るのだろう。

泥棒が根本である以上、

その原因の種を蒔かないことが大切なのに、

種を蒔いても、ご先祖や神仏がなんとかしてくれると、考えているだろう。

ご先祖や神仏を馬鹿にしているのである。

ご先祖や神仏は、愚か者の言いなりになる道具ではない。

当然、泥棒を辞めさせるように動く。

しかし、

愚か者はわからないのである。

ある泥棒が人の家に忍びこみ、

家人にばれた。

「泥棒!」

と叫ばれる。

泥棒は、

「ご先祖様、神様、仏様、どうか捕まりませんように!」

と願い事をした。

しかし、

泥棒は捕まった。

で、

泥棒は

「ご先祖、神様、仏様は助けてくれなかった」

と不平を言った。

ある寺の偉いお坊さんが、そう仰っておられた。

泥棒は捕まるものである。

それが、ご先祖、神様、仏様が救ってくださっている。

しかし、

愚かな泥棒は、

自分のことしか考えないので、

同じことを繰り返す。

自分が悪い因果を生み出し続けているのである。

周りにも害を与えるし、

因果応報で自分にまわってくる。

それが、想像出来ないのであろうか?

また、

そのような人間の願い事を、

神仏が聞くと本気で思っているのであろうか?

聞くわけはない。

むしろ、

嫌がられてしまうか、

無視されてしまうのに。

しかも、

願い事だけはしっかりして、

お礼参りはしない。

もれなく、

罰を与えられてしまうかもしれない。

自分の言動や内省はせず、

周りのせいにし続ける。

嫌な自分を見つめなくて、

楽だろう。

人を悪く言って、すっきりするだろう。

しかし、

全て自分に戻ってくる。

自分が蒔いた種。

人への理不尽な悪口も自分が作り出した種。

ICがないのだ。

想像力と創造力。

そのような奢った人間は、

もっと謙虚になるべきだと思う。

何故、自分が上手くいかないのか、

何故、自分が不幸かを考えて、

自分の言動に謙虚になり、

人に感謝する気持ちをもつべきだと思う。

とある方は、

そのような人間を悪魔と呼ぶと仰っていた。

私は悪魔とまでは、思わないが、

その人々が言動を変えない限り、

同じことは繰り返される。

因果応報。

これをこの世を地獄とすと呼ぶ。

それらの人々は、

そこかしこに、

今日も、地獄の種をせっせと植えている。

哀れなるかな。

こういうブログを書くと、

沢山の方々からメールがくる。

「私ですか?」

「○○さんですか?」

と。

このブログは、

そのような吊るし上げのブログではない。

自分がそうかも、と思うなら、

自らの言動を省みればよいだけだし、

そのような人がいるなら、

他山の石とすれば良いのである。