霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

単純が難しい

霊か、神様か、仏様か、ろくでもないか、から、の言葉、私には来ます。

「今の自分自身の存在が最善であるか」
さらに
今の自分に、
「卑屈でも、
傲慢にもなってはいけない。
ただ、謙虚にあれ」と。
「自らの
形や
理屈にとらわれすぎて、
自分自身が虜になるな」とも。
今の自分自身があることを、
まず否定しては駄目だと思います。
「最善」を尽くせた!
と言い切れるのは、
自分自身が亡くなるときです。
自分自身が
「最善」ではない、
と思っていても、
多くの人に、
(本人は知らずに)影響を与えたり、
助けたりしていることがあるからです。
今の自分に納得がいかない
と考えても、
今まで経験して来たことや、
今、経験していることが、
未来の自分自身に繋がるからです。
だから、
今の自分自身を否定してはいけないのです。
どんな自分自身であれ、
未来への「可能性」を秘めているからです。
しかし、
今の自分自身を、
「今から」、
「明日から」、
全力で生きようとするのも、
違っているかなぁーと、私は思います。
極端な話で言うと、
殺人鬼が「自分自身」を全力で生きて、「人殺し」をすることが違っているように。
どのように生きたら良いのか?
途方にくれてしまうかもしれません。
霊か、神様か、仏様か、ろくでもないか、から言われていることは、
単純です。(私の知能が低いので、それだけしか伝えられていないのかも知れませんが。)
「感謝」と「真心」をもち、「謙虚」(素直)に生きなさい
と言うことです。
お金が大好きな人が居たとします。
必死にお金を儲けようとします。
今のお金では足りない。
もっと、もっと、お金をと、
ある意味、
「素直」に生きたとします。
確実に、人々の怒りや恨みをかい、
潰されることがあるでしょう。
ある意味、「素直」に生きた分だけ、
激しいダメージをうけ、
学ぶ機会が訪れます。
そこで、
どのように振る舞うかは、
その人自身にかかっています。
霊的にはこのような立場は、学ぶ機会が増えたと肯定的に受け取られます。
霊的には、
自分は関心ないんだよーと、
自分に向かい合わず、
逃げていることは、
むしろ、
否定的に取られます。
それは、
周りにも嘘をつき、
自分にも嘘をついているからです。
「感謝」の気持ちがなく、
「素直」ではないからです。
(「お金」という言葉に、「名誉」「子供」なんでも、好きな言葉を入れたら良いです。)
その結果、
激しく、失敗することもなく、
不満のみを抱えて生き続けて、
表面上は、「善い人」を演じれるかもしれません。
周りとうまくやっていけている分、
霊的には「学び」を捨てていっていると、捉えらてしまうからです。
単純に、
すごーく
単純に言うと、
自分自身の「欲」や「特性」(癖でもいい)を知りなさい!
と言うことです。
その「欲」や「特性」(癖)を知っていると、
自分自身が「良くやった」「情けない」とわかるからです。
私自身であれば、
直接的に言い過ぎることです。
だから、
言ったあと、
「言い過ぎたなぁー」
と良く見つめ直す機会が訪れます。
それが「学び」と言うことだと思います。
私は、
人間は欲望が尽きないものだと思っています。
病気になれば、「元気になりたい」と欲求し、
「元気」になれば、「○○」が欲しいと続けていくでしょう。
子供であれば、
「元気に生まれて欲しい」と欲求し、
「元気」に生まれてくれば、「○○」に、と続けていくでしょう。
そうした欲望は尽きないものであると思います。
ただ、
その「欲望」を知って行動するのと、知らずに行動するのは、違うと、私は違うものだと、教えられていますが。
この「欲望」「特性」「癖」が「愛」というものと、深く関わることもあり、
ならば、「欲望」を失くせばいいじゃないか!と言うのも、単純すぎるとは思っています。(自分自身の「欲望」を満たそうとして、周りの人々を救っていることもあります。)
自分自身が
自分自身に対して、どんな判断を下してみても、
周りとの判断のズレもあるのです。
だから、いたずらに肯定したり、否定したり、楽観的になったり、悲観的になったり、するのも間違っているなぁーと思っています。
言葉にすれば単純ですが、
「感謝」と「真心」をもち、「謙虚」(素直)に生きることは、難しいなぁーと私自身が思っています。
私のように常に失敗して、反省して、いる人間が現にいるのですから、
皆さんもいたずらに「不安」に生きなくても大丈夫ですよ。
と、私からは、述べさせてもらいます。