自分が死んで、その後、誰も思い出してくれなかったら、悲しくはないですか?
ご先祖の供養とは、そのようなご先祖を思い出してあげたり、ご先祖の言葉に耳を傾けることです。
何故か、上手くいかない、しんどい、嫌なことが多いのであれば、お好きな寺社で、ご先祖の供養もなさると良いと思います。
そのような供養は、ご先祖への感謝として伝わります。
そして、子孫を護ってくださいます。
自分に置き換えて、亡くなった後も、自分を思って感謝してくれる人がいたら、助けたいと思うのではないでしょうか?
自分の利益ばかり考えることは、短期的には儲けを生むかもしれません。
しかし、人に感謝せずに当たり前のように人に接して、儲けたのであれば、長期的には失敗です。
友達や人間、大切なものを失うことになるからです。
そして、信頼も失ってしまいます。
そのような意味でも、感謝は大切だと思います。
そして、謙遜であることも。
謙遜は卑屈とは違います。
謙遜は、心に余裕があるから取れる行動です。
情けは人のためならず。
情けは周りめぐって、自分にくるのです。
急がば回れですね。
皆さんのお幸せを願っております。
知り合いは、
病気が流行り、
を呼びます。
(お釈迦様は、このことを説いていますね)
自らを
だと考えます。
自分が「不幸」だからと人にまで押し売りしたり、
人に何をしても良い(自分以外は全て幸せな人だから)と考える方もいます。
このような考えに至ると、
いると考えてしまいます。
絶望にいたる人、アナーキニズムに走る人、宗教に走る人、あらゆる人を攻撃する人、等々。
哲学では、「死に至る病」(キルケゴール)に出てくる、絶望した人のことです。… 続きを読む
中国の武漢市をみていて、カミュの「ペスト」を思いだしました。
20年以上前に、カミュにはまっていたときに良く読みました。
本との対話は年齢により異なることがあります。
昔は、さっぱりだった本が、今は良く理解できたり。
また、その逆もあります。
人へのアドバイスも同じものだと思います。
重い病人には、粥を与えるはずです。
美味しいから、栄養があるからと、すき焼きを与えたりしないと思いますよ。
アドバイスは、する方にも誠実さと、真剣さが求められます。
また、受ける方にも、誠実さと、真剣さが求められます。