自分の蒔いた種は自分で刈り取るしかない。
これを「因果応報」とよぶか、「カルマの原則」とよぶか、「因果の法則」と呼ぶかは、人それぞれだと思います。
スタインベックの名著「怒りの葡萄」は、聖書の「怒りの葡萄はたわわに実り」からきています。
作品も出エジプトのような設定と、キリストのような、ジム・ケイシーが出てきます。聖書が知識人の当然の理解の前提なんですよね。
J・C がジム・ケイシー。これは、ジーザス・クライシス(イエス・キリスト)のことなんですよね。
話がそれてしましました。
人は生きるのに二つの「原因」と呼ぶべきものを背負っていると思います。
一つは家系、簡単にいうとご先祖ですね。
もう一つは、ご自身です。
家系・ご先祖の種は、ご自身では「関係ない」と考えてしまうと思います。
しかし、その家を選び、ご先祖の命を受け継いでいる以上、やむを得ないんです。
こちらは自分ではわからないことが多い。
だからみなさん、霊能者をお使いになるんだと思います。
そして、自分の種。
よく「親友がいません」とおっしゃる方がいます。
「親友」とはいわば大木。
種を蒔いたからすぐに育つものではなく、雪の降る寒い冬も超えて、少しずつ成長するもの。
だから、簡単にはできません。
また、ご自身の努力も必要です。
相手が出会ってすぐ、簡単に「親友」と言ってくるときは、その方がよほど「無知」か、ご自身を「利用」しようとしているとき。
注意していただけたらと思います。
自分がどくだみの種を蒔いて、ひまわりの花が育つことはありません。
逆に、ひまわりの種を蒔けばひまわりになる。
良い種を蒔けば、良いものが回ってきます。
求めるものの大きさにより、時間はかかるでしょう。
そして、求めるものが大きければ大きいほど、絶えまぬ肥料(努力)も必要です。
「自分をわかってくれない」、「親友がいない」と言っていても「友人」や「親友」ができるわけではありません。
さあ、みなさんが種を蒔くことから始めましょう。
どのような花が咲くは、皆さんの蒔いた種によりますよ。