神様は仰います。
人が必死に願うからこそ、願い事を聞こうと考える。
家を望み、10円を投げ入れ、自らのお金で車を買い乗り回す。そのような願い事が叶うか、胸に手を当てよと。
私共(桃原)を使い、必死に願い、必要なお金をためらわずに手渡す者の願い事を聞こうと考えるのは当たり前であろうと。
私共(桃原)を使い、私共(桃原)が必死に願ったとしても、私共(桃原)をタダで、奴隷のように扱い、我(神様)に願う者の願いは一切聞かぬ。
私共(桃原)は助けようと思うが、馬鹿な行為をさせる者は決して許さぬ。
また、穢れた悪しき者なり。
そう、神様は、仰いました。
必死に願うこと、潔いこと、が必要だと言うことです。
ずるい者、金銭や物に汚きものは、一切、神様は願い事は聞かないし、悪い者として扱うということでした。
それが、バチを意味するのかは、わかりませんが。