「私の幸せを願ってください」
「私の恋愛を願ってください」
「私の健康を願ってください」
「○○を願ってください」
と、
沢山のメールや言葉をいただきます。
私は、
霊能者としては、
霊に誠実でいることを一番にしています。
私の身体やお金などよりです。
それが霊能者たるものの使命だと思っています。
願い事にあわせて、
日本中の様々な場所をまわります。
寺社関係なく。
青森や岩手や山形などの東北から、沖縄まで。
山に登ることもあれば、断食や、水に浸かることもある。
神社やお寺に祈祷をお願いすることもあれば、
自分で何度もお願いに通うこともある。
お寺に読経をお願いすることもあれば、
護摩焚きをお願いすることもある。
そうして、
メールや言葉で頂いたお願いを一心にひたすら願うのみです。
費用がかかろうとも、
身体が傷もうとも、
時間を使おうとも、
お願いのメールや言葉を私にくださった方々には、願い事が叶って頂きたいし、
幸せになって頂きたいからです。
「霊能者と占い師のどちらが儲かるのですか」
と尋ねられることがありますが、
答えは、何とも言えないです。
霊に誠実であれば、
「コロナにならないように願ってください」
と言われたら、
霊に誠実に動く。
そうすれば、費用も身体も時間もすり減るからです。
霊に誠実とは、
「○○」をお願いしますと、いうことを叶えてくれ、と、
その方々のご先祖がおっしゃるからです。
そのご先祖の霊に誠実に対応しているからです。
御本人の発言を、ご先祖がお願いしてくるのです。
それは、
残念ながら、
ご先祖様が、
その発言をなさる方々を支えるだけの力が無くなっているからです。
例えて言えば、
ご先祖様のが、供養や、感謝で、
力が100あったとします。
しかし、
日々、
願い事ばかりしていると、
その願い事を叶えるために、力を10使おうなどと、どんどん減っていくのです。
その結果、
ご先祖様の力が弱くなってしまうのです。
ご先祖様が、願い事をなさる方々の代わりに、願い事を叶える代わりに、力をお支払いしている形になります。
当然、沢山の願い事をなさる方々のご先祖様は、力がなくなっていく。
そして、ご先祖様は支える力がないので、私に頼む形になります。
昔は、お寺や神社にお願いして、
盆や彼岸、月次祭、節句などで、
毎年や毎月、何度も、ご先祖様を供養をしていたのはそのためです。
(沢山願い事をなさる方々は、ご先祖様を酷使していることになりますから。
すぐに力が無くなってしまうこともあると思います。)
自分達が、ご先祖様の力を使ってしまったので、ご先祖様に力をお渡ししているわけです。
普通の方々には、
霊的な力がないため、
お寺や神社の霊的なお力を持っている方々を通じて、
ご先祖様に力をお渡しするということですね。
ご先祖様のお力がどれだけかは、願い事や欲望を叶える方々の願い事や欲望に寄ってだと思います。
沢山願い事をすれば減るでしょうし、
一つの願い事でも、尋常ではないことであれば、ご先祖様の力を使い切るでしょうね。
(年に数度のお寺や神社での供養してるから大丈夫と願い事をする方々が思っていても、その回数などでは全くたりないこともあるでしょう。願い事をしている人は全く気付かずにいるかもしれませんが…)
私自身、そのようなご先祖様の霊に誠実であろうとしています。
寸暇を惜しんで一番にしています。
ただ、その結果、
ご先祖様を堕落させたり、
ご先祖様を依存させてしまうのであれば、
逆に霊に誠実ではないなぁーと思い初めています。
ご先祖様の霊が子孫を護りたいと思う気持ちは、良くわかるのですが、
その子孫が願い事ばかりして、
ご先祖様を大事にしないことを助長しているなら、
願い事がどんどん叶わなくなり、
問題が起こり、
ご先祖様の霊を大切にする気持ちを持って頂く方が良いかなぁーと思っています。
皆様の願い事は尽きせぬもの。
いわば欲と代わりはありません。
だからこそ、
私が粉骨砕身しても、
ご先祖様や神や仏を大切になさらないのであれば、
逆に、
意味のないことをしているのではないか?と思っています。
「○○」願って来てください、
というのは、皆さんがお持ちでも、
それが、叶っても、ご先祖様や神や仏やらを大切になさらないのであれば、
意味はないし、
いくらでも、
問題は生じるからです。
ご先祖様が、子孫の願い事を叶えてほしいと、私の所へ来る時点で、
残念ながら、
お力がなくなっているのですが。
目に視えるものではなく、
人を脅すのが、
霊能者の役目だとは、私は考えておりません。
だから、
これまで、
ご先祖様のお力が弱くなっていても、
私が話すことは特にはしておりません。
また、これまで、
私が代わりに寺社に行けば良いと行動してまいりました。
しかし、
ご先祖様という根本問題に対処なさらず、
楽を選ぶのであれば、
違うことだなぁーと思っています。
また、
「○○の願い事をいついつまでに」
と仰有られる方々もおられますが、
それには、やはり、
本人の努力とご先祖様の力かあってこそ。
私一人でどうすることも出来ないのです。
それは、
ご先祖様や神様や仏様を
「自分の願い事を聞く便利屋」
として、
考えているからこそ、
そのような発言が出来るのだと思います。
それこそが、
残念ながら
「真心」や「感謝」の気持ちに欠け、
「謙虚」ではなくなっているのです。
それでも、
子孫が可愛いから、
ご先祖様は動く。
力がないから、
私が代わりにさせて頂く。
それは、
ご先祖様を大事になさる気持ちがないが、願い事は叶って欲しいと思っている気持ちの連鎖かなぁーと思っています。