霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

霊界通信 「神とは」

神は、

晴れの日も、
雨の日も、
あなた方を、
惜しみなく、
救い手を差し伸べております。
我々も、
神の意思に沿うべく、
あなた方へ愛を届けております。
神は、
あなた方の考えるように、
理不尽で、
残虐なものではありません。
宇宙全てに広がっているものです。
神や、
我々は、あなた方にメッセージを伝えるべく霊能者を使います。
その際、
霊能者にイメージを与えるべく、
具体的な形を取ることはあります。
また、
残念ながら、
悪しき霊も神と称して、人を操ることもあります。
問題は、
その霊能者の素質、人間性に関わっていることです。
霊能者の資質に応じて、
我々が伝えれることは制約もされますし、
曲解もされます。
悪しき霊であれば、尚更です。
霊能者は、知性を持たねばなりません。
あなた方も、知性を持たねばなりません。
霊能者は、愛を持たねばなりません。
人々に
「なぜ、あのような人間を助けるのだ」
と言われ、
石もて、追われても、
神や、我々のメッセージであれば、
我が身を殺しても、
「愛」
に生きねばなりません。
霊能者は、
「謙虚」と「真心」から、
神に奉仕せねばなりません。
また、
秘して語らず、
行動で示すことも求められます。
その覚悟がないのであれば、
徒に霊能者を気取ってはなりません。
霊能者は、
神や我々からのメッセージを受け取る分、
人々より、絶え間のない努力を求められるのです。
我々は以前にあなた方に申し上げました。
「神は常にいて、常にいない」と。
神や、我々は、
寺院や神社に閉じ込めることは出来ません。
「神」が神社に常に住み、
「仏」が寺院に常に住み、
あなた方の「願い事」の祈りをきき、
あなた方の「願い事」を叶える。
そのようなバカバカしい話を信じる者は愚かで滑稽です。
神や仏や我々は、
あなた方の願い事を叶えるためだけに、
この地上にいるのではありません。
例えて言いましょう。
もし、あなた方が家に閉じ込められて、
人々から、
人々の欲望に基づく「願い事」を
叶えろ
と常に言われていることを想像すれば、
答えは自ずと分かるはずです。
神や我々は、
人々の欲望を叶えるためのみ、存在するわけはないのです。
神や、
我々は、
霊能者という「通路」を通り、
あなた方の世界へとやって来るのです。
霊能者の資質により、
狭い通路となることも、
広い通路となることも出来るのです。
あなた方の欲望は、
物質世界に基づくものばかりです。
魂の成長への願い事はされません。
また、
魂の成長を求めず、
「感謝」と「真心」のないものは、
祈りなどしない方が宜しい。
「傲慢」な願い事を要求することが自明だからです。
寺院や神社に行き、
祈り、願い事をしても叶わないのは、
当然です。
「神」も「仏」も「我々」も、
そこには、居ないのですからね。
例えていうと、
コーチ無し、
好き勝手にプレイしても、
ゴルフが上手くならないのと同じです。
コーチ
(あなた方の世界では霊能者でしょうか)のアドバイスを聞き、
「感謝」と「真心」
を持ち、
「謙虚」に祈ることで、
「神」や「仏」や「霊」
と通じることが出来るのです。
単純に、
あなた方の願い事をぶつけても、
それを聞いた悪しき霊が近付き、
そして、
あなた方を利用するだけです。
あなた方の「願い事」を何でも叶えていくことは、あなた方の魂を堕落させていくことにほかなりません。
あなた方も、
子供の欲しがるものを何でも与えていったとしたら、
子供がどのような大人になるか位は、
理解できると思いますが。
あなた方からの願い事は、欲望から出ているものが、ほとんどです。
物質世界に基づくね。
愛に基づく願い事が少ないことは、非常に残念です。
我々も、
そして、
霊媒たる、霊能者も哀しみにくれます。
しかし、
霊媒たる、霊能者が通路を塞いでしまうことは、
我々との別離を表します。
過去に霊媒として働いていたものが、
力を失うこともあります。
霊媒として霊能者は強い心を持たねばなりません。
あなた方の社会への希望をすてず、
愛をすてず、
誘惑に負けず、
魂の成長を目指し、
「感謝」と「真心」
を忘れないことです。
そして、
あなた方に、
魂の成長を意識させる存在として。