霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

自分の命

神道では、自分の命は両親から受け継いだものと考えてます。
そして両親は、さらにその両親から命を受け継いだものと考えて、連面と続いていきます。

だからこそ、自分の命を大切にしないことは、連面と続いてきた命を大切にしないことになります。
また、神道では連面の命をくれたご先祖を大事に考えます。
だから、二拝二礼1拍をします。
二拝とは、神様とご先祖にチャイムをならしているのです。
パンパンと手を叩いて、きましたよ、と。
そして、二礼して、挨拶しているのです。
神様とご先祖にです。
礼は、腰を90度曲げることです。
お辞儀や会釈は45度です。
いかに、神様やご先祖に感謝しているか、わかると思います。
昔、比叡山の有名な阿闍梨や、高野山の僧、東北の禰宜とお話をしたことがあります。
驚くほど、皆さんと意見が一致しました。
皆さん「ご先祖を大事にせず、違うものばかりにお願いしている」ということでした。
「ご先祖」を大切に供養もせずに、「他人」の「仏」や「神様」にばかりお願いしたり、祈るのは間違っているともお話なさりました。
私も同意見でしたので、非常に可愛がって頂きました。
皆さんも「上手くいかないときは、まずご先祖さんを供養することをすすめるよ」とおっしゃっておられました。
私にとり、神道者だけでなく、仏教者までがおっしゃられるのは意外でした。
そのようなわけで、
「上手くいってないな」
「苦しいなぁー」
「困ったなぁー」
「何をやっても上手くいかない」
「ついていない」
「不幸だ」
と思われる方々は、
まず、ご先祖さんを供養なさると良いと思います。
それは、どこのお寺でも、神社でもかまわないと思います。
自分が気に入った所でなさるのが良いと思います。
その際に、
「ご先祖のせいで出費が…」と「ご先祖」に責任をなすりつけるのであれば、全く意味がない供養になります。
「ご先祖」からしたら、「なら、受け取らない」となるだけです。
これこそが無駄な出費。
「感謝」して供養なさることで、日々の生活の有り難さがわかってくると思います。
「ご先祖」の供養によっても、「すぐに効け!」というのは傲慢。
「ご先祖」がタイミングをはかっているのです。
だから、「ご先祖」を供養なさったあとは、「ご先祖」に任せて、自分の命を全うする。
これが、正しい在り方かなぁーと思っています。
「宗教者」は、わかりませんが、
私が先日からお話している、「仏教者」「神道者」「霊能者」の皆さんは、そこは一致していました。
「良い」お寺や「供養」できる人に出会うのは、「ご縁」と仏教の方はおっしゃっていました。
「良い」神社をさがすのは、神様の導きという方もいました。
また、「仏教者」「神道者」「霊能者」で、「自分が最高だ!」と述べておられた方々もいました。
私は、少し違うんじゃないの?とその方々を冷たく見てはいました。
「傲慢だなぁー」と。
「神様」か「仏様」の前では、
「謙虚」に、「真心」を持って、「感謝」する。
それが一番じゃないかなぁーと私は考えています。
「自分が一番」と言ったり、思った時点で、
「謙虚」さは消え失せて、「傲慢」になる。
私より年輩の方々だし、実績も地位もおありになる。だからこその発言だと思いますが、
「神様」や「仏様」や「ご先祖」の前で、言い切れるのかなぁーと疑問に思ってしまいました。
まあ、私は思ったことは口に出す悪い癖があるので、そのことを発言してしまい、叱られてしまいましたが。笑
「謙虚」に、「真心」をもって「感謝」する。
これを大切に出来ないのであれば、「神様」か「仏様」、良い「霊」とは繋がらないとは、個人的に思っています。
「神様」か「仏様」か「ご先祖」の前で、肩書きや地位は全く意味をなさないものだと思っています。
だからこそ、自分自身が霊能者である以上、自分の魂を磨くしかない。
それしか、私には、わからないからです。
○○宗が偉いとも、○○仏が偉いとも、○○神が偉いとも、無批判に、無考慮で信じることが、私にできません。
もしかしたら、悪いものが、○○仏、○○神と
名乗ることもあり、信じてしまうこともあるからです。
また、そのような方々も沢山見てきましたし、最後も看てきましたから。
「地位」や「権力」に固執して、霊的な力を失った方々も沢山見てきました。
私には、愚直に生きるのが楽で、無理のない生き方だと思っています。
死ぬ時が来たら、死ぬ。
それまでは、生かされているのだから、自分の仕事をする。
単純な生き方です。