« 明日への人
父は、ガンで長く闘病していた。
手術を父が決めたとき、家族は驚いたものだった。
(父は怖がりだから)
術式は、私が医師や看護師さんと話あいした。
父は、真っ先に
「怖いから、お前に任せる」
と、光の速さで逃げ出した。
家族もである。
一人取り残された、私が聞いていたわけである。
医師、看護師、私とも、最初は、呆然としたことは言うまでもない。
オペが決まって父の部屋に戻ると、父は、ベッドでテレビをみて、笑っていた。
母親もみていた。
弟はゲームしていた。
私は、
「手術決まった」からと、説明しようとすると、
父親が
「縁起物と悪い話するな」
と遮って終わった。
母親も、弟も、私に怒っていた。
自分の手術や手術時間をわからずに大丈夫なんだろうか?
この不安は、手術日に的中する。
家族や親戚から、手術時間が長いと袋叩きにされたのだ。
いや、最低10時間はかかるのに、あんたらが、勝手に2時間と決めていただけではないかと。
そんな父だが、
私達家族に、
器切する前の声を出せるときに言った言葉は、
「ようけ金使わせてすまんなぁ」
だった。
父の肉声である。
父は、父なりにお金のことを考えていたのだなぁーと強く一同が、感動したし、
父に、
「お父さんのお金だよ。元気になって!」
と、一同熱く言った。
私は、一人、病院に泊まった。
器切したあとは、小さな手帳に、言葉を書いて、いろいろ言ってくる。
しかし、父は致命的に字が下手で読めないことが多かった。
その度に激怒された。
(もちろん、父はテレビをみながら)
ある意味器用である。
父がナースコールを呼ぶ。
ある看護師が来る。
父はすかさずに手帳に字を書いて見せて、手帳を閉じる。
中には、「こいつ気が強いから、話すな」だった…。
どこまでも、父だった。
父の最期の言葉は、
手帳に書いた
「ねねは?」
だった。
父は、ミニチュアダックスのねねを溺愛していたからである。
私の唯一の後悔は、病院の玄関まで、ねね をつれてきてあげれば良かったなぁーということ。
母親が入院したときには、
ねね を二回、病院にタクシーで連れて行った。
父のことから、学べたことである。
ちなみに父の手帳に、何か深いことが書いてあるかと、読んでみた。
テレビ欄 こいつ(看護師)は言うこときかん などしか、みつからなかった。
日記などつけたことがない、父に
期待した方が間違いだった。
そんな父の誕生日は、11月17日。
毎日、父やねねのことを祈っている。
父の誕生日に、父の愛酒、剣菱を供えられて良かったと、思っている。