自然がある神社やパワースポットと呼ばれる場所は気持ちが良い場所が多いですね。
神社はそもそもは空っぽです。
だから、霊や神様を繋ぐことが必要になります。
その場所や後地が社だったり、磐座だったりします。
霊能者は、「コード」と呼ばれたりもします。あの世とこの世とを繋ぐと言う意味です。
今日も真夏日の真昼に、凄い大きなトンボが網戸に止まっていました。
勤行して、一休みをした時に気がつきました。
大きなトンボをみて、びっくりしました。
トンボが、いきなり、
大まかに
「自らがある一族の霊である。
因縁をもった家系であるから、子孫の夢にでも立ちたいが、今、トンボの姿でしか現れることが出来ない。
だから、何とかなりませんか?」
と伝えてきました。
真夏日の真昼なのに、わざわざと思って、お話を聞いていました。
私は神や仏でないので、「救う」ことはできません。
お手伝いをしているにすぎません。
また、トンボさんで出て来て居られるご子孫が、私のカウンセリングを申込まれるかも、わかりません。
沢山の方々に、
「桃原さん、もっと鑑定事務所宣伝したら?
ホームページ分かりづらいよ。
行きにくいし。
私がしようか?」
と言って頂けます。
私は、
ご縁がある方がホームページをお読みになり、ホームページに書いてあるものを読まれたらいいし、
そして申込みをなされたらいい、
全ては、ご縁だからと思っています。
私はカウンセリングは流れ作業だと思っていないので、1日沢山こなすことは無理です。
一人一人のクライアントを大切にしたいからです。
トンボさんのご子孫がカウンセリングを申込まれるかもしれません。
それもご縁です。
そして、ご先祖供養をお申し込みになるのも、ご縁です。
クライアントの実生活を崩してまで、ご先祖供養なさることは本末転倒だと思います。
また、クライアントがお金を出すからと言われても、私がお断りすることもあります。
私は、ご先祖を大切になさり、ご先祖の供養もお好きな場所でなされば良いと思っているからです。
トンボさん一族の辛い話を聞き、私は祈る。
トンボさん一族の辛い話を聞き、トンボさんの一族に因縁をもつ一族の苦しみも理解し、祈る。
両方の言い分、言動を判断して、引きずり込まれないように、自己の精神を日々鍛え上げることも大切だと思います。
また、短期的にだけ見るのではなく、長期的に見る。
損して得とれ!のように。
因縁がある、因縁をお感じになさっている皆さんは、ご自身のご先祖だけを祈ってるのではないでしょうか?
ご先祖が蒔いた悪い種があり、子孫に発芽していることもあります。
霊的なものには、時間差があります。
だから、
「何故、自分に? 」
「何故、急に?」
と思う方々も、原因は先の時代に答えがあったりします。
タイムラグが生じているのですね。
実際、様々な寺社を見たり、霊能者の話を聞いていたりすると、ご先祖供養は、「成功なさっている」方々がきちんとされています。
それは、ご先祖は、子孫が可愛くて子孫を甘やかし、様々な力をくれるからです。
(その一方、守護霊は、過度の甘やかしをとめる)
その意味で、高野山にある立派なお墓の方々はきちんと供養なさっています。
高野槙ではなく、わざわざ沢山の花束を飾って。
「ご先祖の供養の本体は何か?」というと、
「ご先祖への感謝」だと私は思っています。
自分に繋がる方々に感謝すること。
中には嫌な人もいるとは思います。
しかし、その嫌な人も含めて受け止めて感謝していくことが大切なのだと思っています。
神社やお寺で、神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、何でも良いのですが、繰り返し伝えて来ることがあります。
究極、嫌なもの、好きなものを受け止め、そして、真ん中を選んでいく。
ポジティブが絶対に良いわけではありません。
ポジティブ・ネガティブの両方を受け止め、見つめ(これが辛い)、そして、進んで行くことが大切なのではないでしょうか。
日々の生活に、不満やネガティブもあると思います。
当然のことです。
自分が未熟かもしれないし、相手が未熟かもしれないし、時が未熟かもしれないのです。
それが、この世であると、神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、は伝えてきます。
ハンバーグしか食べたことがない人間が、
ハンバーグが一番美味しいと言うのより、
様々な料理を食べて、
「ハンバーグが一番美味しい!」
と言う方が本質をとらえていると私は思います。
インターネットは便利です。
インターネットで調べて、材料やお店を調べて食べた気持ちになったりしても、知識だけで、経験が全くないのです。
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、が必ず言うのは、単純です。
「あれして欲しい ・これして欲しい」
「あれが欲しい・これが欲しい」
「あいつを滅茶苦茶にして欲しい・こいつを滅茶苦茶にして欲しい」
「早く願い事を叶えて欲しい」
と、
一方的に、
自分の欲望やわがままだけを告げるのに、
神や仏に祈るものはほとんどいない。
まさに
「願い事乞食だ。」
「このような人間を貧乏神と呼ぶ」
と。
だから、
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、は、
降りて来ないし、繋がろうともしないのです。
感謝や真心がないからなのです。
そして、
自分の言動は棚に上げて
「○○は願い事が叶わない」
と適当なことを言います。
さらに、お礼参りすらしません。
これを傲慢と呼ぶのだと思います。
「神社やお寺やパワースポットで願い事を叶えよう」と、
「エネルギーを取り込もう」と、
いくら必死になっても、
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、は一切願い事を叶えてくれませんし、無視されるだけです。
神か、仏か、宇宙か、への畏敬の念や感謝の気持ちがないからです。
神か、仏か、宇宙か、は自分だけのものではないのです。
神社・お寺・パワースポットを維持して下さる方々もいます。
目に見えるものだけが、全てではないのです。
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものか、と繋がったり、自分の想いを伝えたければ、自分の気持ちよりもまずは、ご相手への畏敬の念や感謝から始まるのではないでしょうか?
真心と感謝を大切にすること。
私は、当たり前のことだと思っております。
また、上手く繋がらない方々もいるのも事実です。
その意味で、
新年会で繋げ方、
神か、仏か、宇宙か、からの呼ばれ方、
をご説明しています。
「霊能者だから、わかるんだよ!」
と、ご指摘を受けるのも事実です。
ただ、心がけをきちんとしていくと、
神か、仏か、宇宙か、
と繋がりやすくなり、
願い事や、人間関係も変わっていくのも事実です。
私が目の当たりにしておりますから。