みなさんは、
神様や仏様にお賽銭を入れて願い事をします。
しかし、
あちらの世界では、
お金は使えないし、
通用しないのです。
古い時代には、
お金ではなく、
神様や仏様には供物を供えていました。
古い時代には、そもそもお金などもありませんからね。
では、
神様や仏様に願い事をするときにどうしていたのでしょうか?
祭祀をおこなっていました。
親魏倭人伝の卑弥呼のように鬼道と呼ばれるものです。
それは、
霊能者が神様や仏様を降ろしたり、
コンタクトをとり、
こちらの要望(願い事)を伝えて、
神様や仏様から○○を叶えたかったら、○○しなさいと告げられていたのです。
だから、
ときには、
生贄を求めることもありました。
人々は、
生きた、
牛や馬の首を切り落とし捧げたり、
魚をささげたり、
今では残酷と思われることをしました。
また、
神様や仏様によっては、
願い事を叶えてくれるかわりに、
願い事をした人の命や身体、
身内の命を要求することもありました。
私の知っている中でも、
宝くじに当たりたいと強く、
願掛けをして、
宝くじに当たった人がいます。
しかし、
難病にかかり余命数年となってしまいました。
皆さんは、
何気なく、
お願いごとをしても、
神様や仏様からは、
お金の概念がなく、
何を求められているのかは、
わからないことな多いと思います。
その際に、
交渉人として、
神様や仏様と、
願い事をする人の間に入り、
○○を叶えたかったら、
神様や仏様は○○するようにおっしゃっていると、
間をとりもってきたのが、
霊能者です。
神様や仏様には、
この世の常識が通用しないことがあります。
神様や仏様は、非常識でもあるのです。
小さな願い事なのに、
神様や仏様が大きな要求をすり場合もある。
その場合に、
神様や仏様に○○にしていただけないでしょうか?
別のご意見にしていただけないでしょうか?と交渉しているのです。
お賽銭を投げ、
簡単に願い事をしている人がいますが、
その代償として、
その人の一生を要求されることもあるのです。
そのため、
昔は、
願い事の際に、
神様や仏様に霊能者がお尋ねしていたのです。
霊能者が偉いということではありません。
神様や仏様と人々の間で、
たまたま、同時通訳ができただけにすぎません。
清水寺の舞台から飛び降りるのは、
自殺ではなく、
この身を捧げるので、
どうか母親の眼が視えるようになりますように、など、
非常に思い代償を払っているのです。
小銭や適当なお金で、
眼が視えるようになりますようにとは願っていないのです。
それだけ、
神様や仏様の願い事の成就の要求は、
高いものと考えられていたのです。
私もクライアントの依頼で、
神様や仏様にお願い叶えていただくようにお願い致します。
とてもではありませんが、
聞くことの出来ない要望もあります。
また、
神様や仏様はお金という概念がないため、そんな毎日供物をあげたり、
巡っていたら、
めちゃくちゃお金がかかるよ、ということも仰ります。
小さな願い事だから、
小さな要求と、
神様や仏様の世界では比例しません。
軽い気持ちで、
小銭を投げて願い事を叶えて頂こうというのは虫が良すぎる話かなぁーと、
私個人思っております。