いつも、朝の陽射しで目が覚める。
だから、騎乗時間はまちまち。
最近は、どんどん早くなっている。
昼間の暑さは、夏だなぁーとも感じる。
これから、梅雨もくる。
とある専門家の意見では、新型コロナは日本の気候の影響で鈍るそうである。
「暑さ」
「梅雨」
と
嫌がられているものが、
日本を救うなら、皮肉でしかない。
条件反射的に、
「無理」
「嫌い」
と、
「決めつけて」しまっていたら、
「自分」で、
「自分」に、
「檻」を作って、
生活することになる。
たまには、
「檻」
の
「外」
に、
ほんの少しでも
「出てみよう」
と
「思うだけ」で、
「自分」の可能性が広がるのではないでしょうか?
お釈迦様は、
自己の自我を否定、破壊することをおっしゃられたが、通常の人は無理です。
私は、
「チャレンジすること」
「可能性」を追うことが、
自己を自然と広げていき、
自我に、多大な可能性を与えていくと思っています。
だから、
「チャレンジ」する人
「可能性」を追う人
は、時に「無謀」や「バカ」に見えるかもしれません。
でも、
その人たちを笑うことは簡単でも、
その人たちのことをできないと思います。
私は、
人の可能性を奪うこと、
人の夢を否定し、邪魔をすることは、
最大の罪だと思っています。
それは、
自己の「謙虚」さを忘れた、
傲慢な態度だと思っています。
神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものは、
「謙虚」さの大切さを告げます。
「謙虚」だからこそ、
物事の有り難みがわかり、
「感謝」できる。
そして、そのような心は、
「真心」
が存在していると。
この「謙虚」「感謝」「真心」を大切にすれば、人に果実が様々なかたちでやってくるし、
逆のことをすれば、「望まない」果実が様々なかたちでやってくる。
そう教えられています。
果実とは、
不幸かもしれないし、
金銭的なこと、
健康的なこと、
嫌なこと、
チャンスを逃すこと、
人それぞれに様々なことでしょう。
しかし、
その望まない果実に対して、一方的に腹を立てるのではなく、冷静に受け止め向かいあえたなら、
不幸な果実の中にも、「有り難さ」を見いだすことができると思います。
そのときに、謙虚さを学べると思います。
逆に、誰かのせいにして、
現実の自分と向かい会わないなら、
望まない果実をどんどん周りに、たわわに実らせていくことになります。