霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

出家

「出家しなければ、駄目なのでしょうか?」

と聞かれることがあります。
私は、
「駄目ではないです。」
と答えています。
いくら出家しても、日々を真心をもてず、感謝できずに居るのであれば、それは意味のないことだと思います。
霊か、神か、仏か、宇宙か、なんでも良いのですが、実際に伝えてくるものは、言葉を変えても同じようなものです。
寺社仏閣で人は、「自己」の幸せや願いを祈ります。
しかし、「自己」の幸せや願いの成就で、「不幸」になる人がいることを考えていないのです。
また、霊や、神や、仏や、宇宙の何でも良いのですが、そのような存在の「時間」と、我々の「時間」は異なります。
願いが叶わないから、寺社を巡り歩く人は、そのことがわかっていません。
薬を飲んですぐ効く薬と、時間がかかる薬があるように、「時間」がかかるのです。
また、願いが叶っても、お礼にはいかない。
これは、困った時だけ頼るといった傲慢さで、謙虚さがないのです。
命には幅があります。
それは星のようなものです。
太陽のように100億年輝く星もあれば、
オリオン座のリゲルのようにもっと輝き早く命を終える星もあります。
また、彗星のような星もあります。
そのどれもが「宇宙」という存在には必要不可欠なものなのです。
夢や理想と言うものは「欲」と否定するのではなく、「向上心」であり、現実の自分を押し上げていくものです。
「普通でいい」と仰っる方が一番傲慢なのです。
普通とは、両極端を知って初めて理解できるのです。
「普通がいい」は違います。
自分が自ら、選び取っているのです。
私は、「金銭欲」の依頼を受けますが否定はしません。
ただ、その金銭をいかに使うかで、人の人生は変わります。
能力があれば、沢山稼げば良いのです。
そして、それを社会に還元すれば良いのです。
自分1人で使う必要はないのです。
自らを神格化をすることは、高僧や禰宜にはありません。
それは、自らが、神か、仏か、宇宙を前にした時に、自らの無力さを嫌と言うほど感じるからです。
目的と手段を間違えてはいけません。
目的と手段を間違えてしまうと、執念になり、固執してしまうのです。
いたずらな末期思想におののく前に、自分のできる範囲のことをすれば良いのです。
末期だから、仏像やモノを買わなきゃいけないなど、馬鹿げていると思います。
いたずらに脅えるべきではありません。
脅えて、無限の可能性を閉ざしたり、物事を悪く捉える必要はないのです。
私は霊能者です。
占い師さんではないので、方角だの、年齢だの、宗教だの、どうでも良いことです。
視えたり、伝えてくるメッセージを、お伝えするだけですから。
幸せは遠くにもあり、近くにもあります。
遠くの幸せにたどり着くためには、辛いことも経験すると思います。
それも含めての人生ですから。
日々を大切に感じれること、そして日々はずっと続くものではないこと。
これが覚りだと思います。
物質社会を否定して、精神社会へと移動すべき…とご質問なさる方もいます。
では、身体という物質をすてるのでしょうか?
そんなことではないと思います。
私は、二度とは来ない日々を大切に生きること。
これが一番のことだと聞いています。
芥川さんの「蜘蛛の糸」ではありませんが、一度でも良いことをしていく。
それを増やしていく。
それで十分だと思いますよ。
自分の周りの人を不幸にして、幸せは成り立ちません。
あっという間に、崩れ去ります。