霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
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そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

日本の神々の系譜 古代神の謎

詳しく説明してもよいと、神でもよいし、仏でもよいし、宇宙でもよいのだが、許しが出たので述べてみる。

古代の信仰の対象は、
山と水(沸きだす水から川まで)であった。

御祭神
山は大国主(スサノオ)を表し、水は瀬織津姫
が神であった。

山=大国主 水=瀬織津姫

山には、豊かな食物や木材など様々なものがあり、人々の生活を豊かにしてくれたため、神と見なされた。

また、大国主は蛇を現している。
これは、山の食物や稲作の穀物を奪うネズミなどを補食してくれたからである。
また、蛇は山にいることが多い。

そして、もう1つの神である、水=瀬織津姫を現す川の水面を上手く泳ぐことから、信仰されたのである。
蛇は脱け殻をだし、再生することから、永遠の命の象徴であった。

また、水は生活に不可欠であった。
畑作や稲作にとっても必要不可欠である。

そして、神は、山の所々に降りてくる。
それが岩倉である。

岩倉とは、神が降りたモニュメントであり、また、神を降ろす場所でもあった。

この古い信仰をもつのが、縄文人であり、出雲族であり、物部氏でもあった。

私は、よく、スサノオや大国主の神社に呼ばれるが、御神体である山を霊視すると必ず蛇に見える。

また、神社は死の世界を現しており、社の近くには必ず川がある。
神社に入ることは、死の世界=神々の世界に入ることを意味する。

その神を

山から陽が昇ることから、

太陽神=天照(アマテル・男性神)に代え、

稲作には水を使うことから、

稲作の穀物=うかのみたま・トヨウケオオミカミ(2つは同じ神であり、女性神である)

に秦氏などが置き換えたのである。
これが、物部氏などの信仰との大きな違いである。

物部氏が蘇我氏に破れた時に、蘇我氏など
の勝者が、物部氏の信仰を消し去ろうとしたわけである。

その結果

山=大国主(スサノオ)が 太陽=アマテル
川=瀬織津姫が、稲作=ウカノミタマ・トヨウケオオミカミと変わったのである。

そして、太陽神=アマテルは、藤原の不比等により、男性神から女性神に変えられてしまったのである。

藤原氏は、元々、中臣氏として、式次第を司ってきた。
つまり、大祓などの言葉を奏状していた。
だからこそ、その大祓を改竄することができ、瀬織津姫は消された存在とされた。

多くの古代の神々が消されたわけである。
そして、持統皇后に合わせて、男性神アマテルを女性神としたのである。

私が訪れる、伊勢神宮の内宮では必ず、男女の神様が現れるのは、内宮の神が男性神であるからである。
だからこそ、斎宮は女性であり、アマテルの妃とされるのである。

また、稲荷とは秦氏が祀る神であり、ウカノミタマ・トヨウケオオミカミをあらわす、稲作の神である。
そして、蓄えた稲を食べるネズミや雀を補食する狐が神の使いの眷属とされたのである。

古くある神社は、山と川が対をなし、夫婦を現しているのである。

神社の社は、あくまでも詣るときの対象としてつくられたものであり、御神体ではない。

また、神社の社が整備されていったのは、仏教の寺院に対応しての、拝む対象が必要とされたのである。

そして、物部氏の信仰と、葛城=加茂・秦氏の信仰が対立したり、重なって神社を形成しているのである。



稲荷にも2つの系統がある。

古くからの瀬織津姫が稲作の神に変化したものと、
稲作の神にダキニテンという仏教の神を混合させたものである。

この2つの系統は、かなり異なり、ダキニテンを祀る方は、呪術的色彩が強い。
この代表が伏見稲荷である。

私は、伏見稲荷が合わない。
伏見稲荷から、呼ばれるが、敢えて行くことはない。

一方、純粋に稲作を祀る・ウカノミタマやトヨウケオオミカミがご祭神の神社はすんなりと行ける。

霊能者は、神と人を繋ぐ役目をするのであるが、霊能者ごとに特性があり、相性の良い場所、神様がいるのである。
そして、神々から、声を聞いたり、映像をみせられたりするわけである。

弘法大師こと、空海は秦氏と関係しており、莫大な唐への費用を秦氏から調達した。

秦氏は養蚕や土木工事で莫大な富をなしていた豪族である。

また、秦氏の伏見稲荷にダキニテンを持ち込み、東寺との結束を高めたのである。

そのため、真言宗の方々は稲荷を大事にするが、この場合の稲荷はダキニテンを加えた呪術的な稲荷である。
単純な稲作の稲荷とは異なるのである。

秦氏は謎の豪族とされるが、葛城=加茂氏と接近して、神社に参入していくのである。

葛城氏は謎の豪族であり、大王に妃を出し、葛城山を本拠地としていた。
葛城山は、神々が住む聖地とされ、その神官でもあった。
修験道の祖とされる、えんのおずの を輩出している。

その葛城氏が、平安京に移るに際して、加茂氏と名を代え、上加茂神社・下鴨神社の神官となるのである。
そして、平安京の地は元来、秦氏の土地であり、秦氏との係わりを持つようになっていくのである。

上加茂神社は、山が御神体であり、流れる川も御神体である。
この土地からは、古く弥生時代の遺跡が見えることからも、古代信仰をしていたことがわかるのである。

また、下鴨神社も 大国主の別名の社が干支ごとにあり、瀬織津姫の社もきちんとある。
しかも、瀬織津姫の別名の貴船神社の神が川合神社のご祭神である。

下鴨神社も、大国主・瀬織津姫という、古い信仰形態に、ウカノミタマが付け加えらた形をとる。
ウカノミタマは主祭神ではない。

このことからも、上加茂神社・下鴨神社は古い、縄文・出雲・物部の信仰を現している。
そして、妥協の産物として、秦氏のウカノミタマが加えられているのである。
これは、葛城・加茂・物部に秦氏が参入していったことを現している。

神社には、
縄文・出雲・物部系

秦系

があり、自分に合う神社も異なってくるのである。