霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

霊能者は悲惨な死に方をする?

クライアントから、

「霊能者の方々って悲惨な亡くなり方をするんでしょう?」
「宣保愛子さんも悲惨な亡くなり方だし、比叡山の酒井阿闍梨も悲惨な亡くなり方だから。」
など、良く質問をお受けします。
霊能者さんの中には、
「心霊や供養は年に1回か、2回しか受けない。寿命が確実に縮まるから」
という方々も居られます。
また、霊能者さんの中には
「本気で命をかけて、霊を入れたり、供養しているのに、金を取りすぎだと言われるから、したふりをする。本気でやるのは、割には合わない。」
「霊のための場所に行ったり、借りたりしたり、実費の費用だけでも莫大な費用がかかるのに、それすらも分かっていない。
だから、やるだけ無駄。
数百万円もらっても割には合わない。
物販の方が有難がられるし、利鞘が大きくていい」
という方々も居られます。
私には、霊能者の側の言い分も理解できますし、多額の費用を支払うクライアントの側の考え方も良くわかります。
私は霊能者としてご先祖供養していますが、やはり赤字です。
儲かるものではありません。
また、儲けのための道具にするものでもないと思っています。
私は、神か、仏か、宇宙か、ろくでもないものかとの御約束で値段を指定されたので従っているだけです。
私は供養のために滞在もしますし、場所もまわります。ゴマや起動などの実費もかなりかかります。
寺社も、建物や施設を維持するのに費用は必要です。
また、私の土地や施設でもなく使わせて頂くには費用が必要です。
当然、その間、カウンセリングは休みます。
そして、何より、沢山の霊と対峙したり、身体に霊を入れたりすることは、疲れます。
場合によっては、供養の後に、入院もしています。
原因は不明で医師にも不思議がられています。
で、最初の話に戻ります。
宣保愛子さんは、お会いしたことがないのでわかりませんが、
多くの霊能者が霊によって、
霊が入ったままや、
霊が憑いて、精神的に病んだり、亡くなられたり、したことは知っています。
私の所には、同業者の方々が来て、相談にものっていますから。
また、そのような方の霊を取ったりもしていますから。
ただ、酒井阿闍梨は、煙草を吸わないのに口腔ガンになったため、「誰かからの霊をもらった」と言われたり、本にも書かれています。
しかし、私は違うと思います。
酒井阿闍梨は、ゴマ焚きを良くなさっていました。
だから、その煙は煙草の比ではなく、もっと沢山の煙を吸って居られたからだと思います。
霊能者さんやクライアントも様々な考え方があります。
この霊の世界やスピリチュアルの世界は、値段はバラバラです。
値段を高い、安い、
と考えることでも、
霊能者サイドとクライアントサイドで全く違います。
だから、私はクライアントを視て、
ご先祖の供養が必要だと思えば、
その旨は伝えます。
クライアントがどこの寺社や霊能者をお選びになるかは、
クライアントの現実世界での生活と、価値観、そして、信頼出来る方をお選びになるのが一番だと考えているからです。
ただ、クライアント自身がなさるのは、私は勧めてはおりません。
クライアント自身に霊がついたり、入ったりしては困るからです。
だからこそ、霊能者や寺社の人間を使えば良いと思っています。
霊能者や寺社の人間はそのために存在していて、霊能者や寺社の人間に霊が憑けば良いのです。
クライアント自身が、わざわざ危険を犯す必要はないと思っています。
霊能者や寺社の人間で、
「悲惨な亡くなり方をする人が多い」ことは、その霊能者や寺社の人間が単純に、
霊を落としたり、払う力がないだけです。
それか、単純に、
悪徳商法をした報いだと思います。
きちんとしていたなら、「悲惨な」死に方をしたりはしないと思います。
現に「悲惨な死に方」をしていない霊能者も見てきてますから。
あとは、
全く霊能力がなくて、
霊にすら、相手にされないなら、「悲惨な死に方」すら、ないかもしれませんね。
現実世界の生活を大切にする。
信頼出来る霊能者や寺社の人間に任せる。
また、信頼出来る霊能者や寺社の人間に出会うのも、ご縁だと思っております。
皆さんは、幸せを求めていく権利があります。
幸せは多様ですが、
自分自身が亡くなるときに、
「幸せだった!」
と言えるのが一番大切なのではないでしょうか?
私は、何度も臨死体験をしておりますが、
その帰還後に、常にそのように思っております。