霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

某さんへ


某さんが私に最後のメールを送られて、アドレスをお変えになったので、某さんにお答えすることが出来ないため、このブログで申し上げたいと思います。
某さんは、ブログをお読みだと、私に下さったメールにお書きになっておられたので。
私には、
「某さんは、何をおっしゃりたいのか」、理解しかねます。
私は、人の魂を常に霊視いたしません。
そんな趣味はございません。
また、そのようなことをしたら、精神がパンクしてしまいます。
私は、「神」でもありません。
私は未熟な人間だからこそ、日々勉強し、お役に立てるように頑張っております。
私は、「真心と感謝と謙虚」が必要だと告げられています。
何度も言いますね。
私は「神」ではありません。
たんなる人間に過ぎませんだから、自分は完全ではなく、「傲慢」な部分があることも否定していません。
そして、日々、自分の言動にも反省しています。
そのような、自分が「神」ではなく、単なる人間に過ぎない人間に過ぎないことを自覚して、受け入れて、反省する。
自分の愚かさに打ち負かされることもある。
それを糧に、愚行を起こさないように、と考えても、人間ゆえに愚行を起こしてしまう。
しかし、少しずつでも、愚行を減らしていこう。
昨日の自分に打ち負かされて、今日を生きる。
これが「負けるが勝ち」と思っております。
私は以上のようなことは、以前から全てブログに書いております。
申し訳ございませんが、某さんの文章は揚げ足をとっているようにしか感じられません。
某さんがお別れになったことや、パートナーさんから聞いた私や事務員への評価も相まって、少し感情的になられていませんか?
私のブログをお読みになっておられたら、以上のようなことはご理解頂けると思います。
私は、単なる人間。
聖者ではありません。
私は、私が自ら「ご人格者」「ご人徳者」「神」など、申し上げたことはございません。
そのような評価は、周りの方々がお決めになることです。
だからこそ、私の評価は皆さんに委ねているのです。
そして、某さんがそのように感情的なられるなら、私の人格がまだまだ足りないのだと、メールを頂くたびに、毎夜反省しております。
某さんは、私を助けたいから、話したいと申されましたが、「人は人を助けれる」と思うのが、私にとり「傲慢」だと思うのです。
あくまでも、「お手伝い」にすぎないのです。
助けられるのは、神か、仏か、宇宙か、なんでも良いのですが、そのようなものではないでしょうか?
桃原鑑定事務所に、皆さんはカウンセリングを申し込みされておられます。
某さんはご自身だけ、私や事務所所員への相談メールをなさって、さらに今後も自分だけ全て無料とご自身でご自身が勝手にお決めになっていたことを、事務員や私から指摘されるまで、某さんは「常識」とお考えになられていること自体、やはり「非常識」だと思います。
また、某さんが独断で桃原鑑定事務所の方針を決めて、私が従わないからと不満をいうのは、やはり「傲慢」だと思いますよ。
桃原鑑定事務所は、某さんやパートナーさんのものではないからです。
きちんとホームページの鑑定フォームから、申し込みをなさって、お金を頂いている方々に不公平だと思いますよ。
事務員へのメールで一方的に伝えるのではなく、皆さんのように鑑定フォームから申し込みしていただけると幸いです。
某さんの今までのメールと異なり、「これを知りたかった」と後だしで次々、内容を出されても、私は困るばかりです。
次々、後だしでは、信頼関係は作ることができません。
最初から、言っていただけたら、私の対応も変わっております。
事務員にメールする一方、私のメールは一切無視され、事務員に拒絶されたら、今後は、私と言う態度も如何なものかな?と思います。
きっと、某さんも同じ事をされたら嫌な思いをなさると思いますよ。
たしかに、事務員は某さんと同じ女性で話易いというのは考慮しても。
ものごとの本質を見分けることは、難しいことだと私も知っております。
だからこそ、私は「助けれる」とは言わないのです。
私は、幼少期から今まで、臨死体験も沢山しました。
看取りも。
某さんは、私に「何を信じているか」、と言われますが、
単純な回答ですが、「無限の可能性」です。
可能性の扉は至るところにあるのです。
「哲学者は窓から、外を見ている。振り返れば後ろの扉が開いていることに気付かず」
ヴィトゲンシュタインの言葉だったと思います。
その「無限の可能性」を信じて、「扉がまだ他にもある」ことを伝える。
「壁」ばかりではなく、「扉かもしれない」し、「扉」があることも、伝えること。
クライアントに選択肢を提示すること。
あくまでも、クライアントが自分で決定すること。
クライアントを依存させないこと。
クライアントに誠実に対応すること。
「霊」か、なんでも良いのですが、に対して誠実に対応すること。
それが私の信じて、行動していることです。
私には、
「人より上に立ちたい」、「支配したい」、「従わせたい」、「権力欲」、「金銭欲」、「異性にモテたい」よりも、
いかに「今の自分と闘い克つか」、
そして、「死ぬ時に後悔しないか」が、人生の問題なのです。
私は臨死体験を沢山しているからこそ、「ここで死んでも後悔ない」と言えるように日々行動しているのです。
一度だけ、「死ぬかも」と思ったときに、「ここで死んだら後悔するなぁー」と思ったことがあります。
そのような思いは二度としたくないのです。
だから、臨死体験でも、「死」を宣告されても、「良し、後悔はない」と「死」を受け入れれるのが自分です。
その人生をずっと歩んでいるのです。
私は、二十歳で人生の転換期を迎えています。
私の考え方に影響を与えている本は、
・「二十歳の原点」(高野悦子)
・「それでも人生にイエスと言う」(V・E・フランクル)
・「存在と時間」(M・ハイデガー)
・「シーシポスの神話」(A・カミュ)など作品全て。
・J・Pサルトル の作品
・狭き門(A・ジッド)
・F・ニチーェの作品
・ドストエフスキーの作品
・「百年の孤独」(G・マルケス)
・「ノルウェーの森」など、(村上春樹)作品。
・中原中也、立原道造の詩です。
漫画だと
「あさきゆめみし」
「銀河鉄道999」
「東京ラブストーリー」
「家族の食卓」
「みゆき」
「六三四の剣」
「三國志」
「ブラックジャック」
などです。
私にも某さんのパートナーさんの言葉は7月の中旬以来わかりません。
ただ、パートナーさんの6月までの発言は知っております。
それは、某さんにパートナーさんが語ったものとは違うかもしれません。
また、パートナーさんが考え方を変えたり、某さんと私で、ダブルスタンダードで対応していたのかもしれません。
どう、解釈なさり、選択なさるかは、某さん次第だと思います。
最近出た、「サルトルの教え」がわかりやすいですよ。
某さんの考え方は、現象学ですから。
私は、クライアントとしてお受けするのは、お互いに信頼感を抱けている方々です。
前回までの某さんから頂いていたメールには、某さんの私への感情的な文章で、私は不快で、信頼感を抱くことは出来ませんでした。
しかし、私は、扉は開けております。
この某さんへの文章を読んで、私に対してご理解頂けるのであれば、私は鑑定をお受けする所存です。
某さんの期待全てにお答えできるかは、わかりませんが。
これが、今、現在の私の考えです。
某さんのお幸せを日々祈っております。
季節の変わり目、お身体をご自愛くださいませ。