霊視で現実世界をカウンセリングして解決いたします。
霊能・スピリチュアルだけのアドバイスだけではなく、人が日々生きている現実世界との調和が必要だと思っています。
そのため、法律資格や現実世界の学びも生かした、総合的なカウンセリングとコンサルティングをしています。

ねね の死と私の大罪

ねね

(ミニチュアダックスフント ブラック&タン 女の子  享年19才6ヶ月)は、
5月1日に旅立ちました。

旅立つ、2ヶ月前の状態です。
とても元気でした。

お母さんが出かけると、玄関で待っていました。

昨年、高野山で
「ねね の命は春まで。5月2日まで」
と伝えられました。
ねね の歳もあり、昨年来に、私と弟と母親は覚悟を決めていました。
しかし、母親は諦めきれない気持ちが強く、私に何度も
「ねねの寿命を伸ばすこと」
を頼んできました。
しかし、どの寺社でも答えはかわりませんでした。
4月に入って、ねね は調子を崩しました。
掛かり付けの病院に行くように言ったのですが、母親は掛かり付けの病院の担当ではない先生の一言に腹を立て、近くの病院に行っていました。
ねね の病状はどんどん悪化していきました。
母親は、近くの病院に行きます。
弟から、近くの病院の先生に
「もう、年だから来ても無理だよ」
と言われたと、珍しくメールがきました。
母親も体調を、崩しました。
気持ちが折れたのだと思います。
私も司法試験が5月20日にありましたが、諦めて実家にすぐに帰宅しました。
憔悴した母親に、掛かり付けの病院に行くように言ったのですが、反対します。
そこで、無理やり掛かり付けの病院へと、ねねを連れていきました。
ねね を担当してくださった先生の何気ない一言を母親は酷く怒っていました。
そこで、先生に事情を話、ご理解いただきました。
ねね は緊急入院しました。
毎日、腰部狭窄症の母親を連れて、病院に ねねのお見舞いにいきました。
お見舞いのつど、帰りに、食欲がない母親を無理やりレストランや百貨店の少しよい食堂で食べさせました。
百貨店で、母親の服を沢山買ったり、カバンやライターを買って、ねね の病院に恥ずかしくない格好で行こうと母親をはげましました。
病院へ連れて行った日、私は ねね が敗血症だと思っていました。
初日に先生と母親と三人でお話をしました。
母親を先に出して、
私は先生に
「ねね は敗血症で、もう厳しいのではないか」と尋ねました。
先生は先ほどの優しい眼差しから、
「はい。いつ心肺が止まってもおかしくない状態です。」
とおっしゃいました。
私は、
「覚悟は出来ています。ただ、今、家に帰ることは死を意味し、早くこの病院に連れてこなかった自分が悪いと一生引きずると思います。だから、やれるだけの治療をお願い致します」
先生は
「患者さんのお気持ちが分かりましたから全力を尽くします。しかし、今、白血球は0の値です。」
私は
「リカバリーは、数%でしょうか」
先生は
「正直、数%もありません」
私は、
「それでも、この状態で必死に食事をしたり、生きようとする ねね を連れて帰ることはできません。ねね や 母親 の気持ちを裏切ることは出来ません。」
先生
「わかりました。全力を尽くします。」
「もし、ねね が夜亡くなったら、病院は朝に気づかれるのでしょうか」
先生
「はい。夜の診察が終わり、朝の診察までは、わわからない状態です。夜亡くなったら、朝の病院の開始前にわかることになります。」
「では、先生、芝居をしていただけませんか?母親と弟は、父親を看取れなかったことを後悔しています。また、ねね が一人で亡くなったとしたら、後悔するでしょう。そこで、朝亡くなっていたら、実家に、今、危篤ですと、嘘の電話をいれてください。駆けつけた時には亡くなっていたと。」
先生
「わかりました。みなに伝えておきます。」
「ありがとうございます」
と、部屋を出ました。
母親は、私に
「長いこと話していたなぁー」
と話かけました。
母親は、 ねね がご飯を食べたり、水を飲んだりしているのをみて、元気になってきたと喜び、
弟にも話していました。
私は、倫理的に、
そして「皆さんに許されるかの審判を受けねばならないこと」をここで申し上げます。
私はクライアントに嘘は述べていません。
しかし、母親と弟には2回嘘をつきました。
父親 と ねね です。
父親は、手術前日に、気管に痰が落ち脳死状態に近い状態でした。
人工呼吸器をつけた時点で、1週間生存がないことを知っていました。
しかし、母親と弟はそのことを知らずにいました。
私が1日中父親に寄り添っていました。
ずっと私一人が徹夜で付きっきりでした。
母親や弟は、夜は実家で寝ていました。
私は、何としても父親を看取らないとと思っていました。
先生とは、腹水や胸水がたまらないように、点滴の薬や回数もお願いしていました。
そして、早朝、私が父親を看取りました。
母親と弟は、奈良から大阪の父親の病院にタクシーできましたが、間に合いませんでした。
私は、後に母親と弟は感情的になっているから、冷静なお話をして、私と父親と先生で決めたと話ました。
実際に父親の意見をきいていたからです。
1回目の嘘をつきました。
そして、しばらくしてから、母親に正直につげました。
父親の命日は、4月23日でした。
母親の誕生日は、4月29日です。
ねね は そこを必死に乗り越えました。
母親は快方に向かっていると思っていました。
私は、先生からそっと手渡された検査表を見て、ねね から、目をそらすまいと思っていました。
5月1日の午前中に病院にいきました。
ねね は、 私と母親の前で4回鳴きました。
母親は、ねねが元気だと非常に喜んでいました。
私には、ねね が
「もう、おうちに帰りたい!お母さん!」
と言っているのが聞こえました。
その日の夜8時過ぎに ねね が危篤だと先生から電話がありました。
私・母親・弟とタクシーで病院に行きました。
病院に着いたときに、 ねね は旅立っていました。
先生が残ってくださり、ねね をキャリーバッグに入れ、毛布もかけてくれていました。
弟は、病院を出て外をうろうろしていました。
母親は先生とお話をし、先生に慰めてもらっていました。
ねね も 病院 で 先生や看護師さんから、付きっきりで看病してもらっていたと話をしてくれました。
母親が病室から出たあと、
先生に
「原発は歯ですか」
と聞きました。
先生は、
「はい。」
とはっきり、データからも教えてくださいました。
私は、
「本当にありがとうございました」
と深々と頭を下げて病院をでました。
先生はタクシーが去るまで、頭を下げておられました。
母親は、自分を責めていました。
「章浩のいうとおり、1ヶ月前にこの病院にきていたら良かった」
と。
弟は、黙っていました。
私は、
「5月2日までと言われていたじゃないか。
弟の誕生日、お父さんの命日、お母さんの誕生日と悲しませたくないから、 ねね はがんばったんだよ。無理やりボロボロの身体から解き放ってあげて、自由にしてあげることも大事だよ。」と。
母親は泣いていました。
これが、2個目の嘘です。
あとで、正直に話ました。
私は仕事柄、多くの看取りを経験しています。
亡くなった人間や動物が悲しむことは何かわかりますか?
残された人間が悲しむことなのです。
残された人間が悲しみ続けることは、霊を心配させて、この世に引き留めることになるのです。
亡くなった人間や動物は残された人間を心配しているのです。
自らのことよりも。
残された皆さんは必ず言います。
「もっと早くに気付けば…、もっと早く病院に…」と後悔のあら探しをします。
しかし、それは間違っています。
残された人も関係者も、ベターやベストを尽くしたのです。
だから、自分を責めてはいけません。
霊が悲しみます。
むしろ、
「ありがとう!」
「頑張ったな!」
と送り出してあげることが大切だと思います。
亡くなった人間や動物に、この世のことを心配させてはいけないと思います。
霊はいつでも、心の中に生きています。
そして、家につくと、5月2日でした。
ねね は沢山の素晴らしい思い出をプレゼントしてくれました。
うちのリビングにはまだ父親の遺骨があります。
父親はさみしがりやなので、お墓で一人は嫌がるからです。
最初の遺影は怖い顔でしたが、今は優しい顔になっています。
ねね は、5月3日に荼毘にしました。
ねねの遺骨を、父親の遺骨の横に私が置きました。
父親の遺影が笑顔満開でした。
母親や弟も、父親が凄く好きだった ねね が来て喜んでいると話していました。
父親は、自分がガンの手術の時でさえ、
「ねねは ?」
と聞いていたからです。
私が嘘をついた、意図的に母親・弟にはなさなかったことの批判は甘んじてうけます。
そして、言い訳はしません。
私自身にとり、心の重荷になったことは事実です。