人生に絶望している人もいる。
人生に疲れている人もいる。
自分の人生なんて…と嘆く人もいる。
また、自分が生きていても…と人生を投げたそうとしている人もいる。
人生の目的や課題は何だかわからない。生きていても意味がないと、考えている人もいる。
しかし、それは間違っていると、私ははっきりと断言できる。
自分が人生に解答を求めても意味のないことである。
むしろ、人生は問うている。
「君はどんな人生を造り上げるのか?」と。
我々は、日々、生きて行動している。
それが積み重なって今の自分や立場や環境となる。
それが、自分で造り上げた人生であり、人生への「回答」でもある。
人生からの問いに、自らが能動的に、意思をもって答えていくことが必要である。
その積み重ねられたものが、「人生」とよばれるものである。
人生は、人それぞれ全く異なる。
また、人により課題も異なる。
だから、全てとして同じ「人生」や「回答」はない。
自らが答を出していくしかないのである。
例えば、今、問題のニート。
彼らは「死ぬ」といった人生の放棄はしていない。
いつか、切っ掛けを求めてもいるのである。
これも、人生に対する「回答」の1つだと私は思っている。
人生に対する「回答」はいくらでもある。
しかし、忘れてはいけないのは、「回答」をしたのは自分であるということである。
私は、霊能者として、クライアントに人生の課題を提示することはできる。
しかし、その課題にクライアントがどう対応し、人生に「回答」するかは、クライアントにかかってくる。
私は、「人は必ず死ぬものである」といった単純なことが常に頭にある。
それは、何度も死にかけたことがあるし、看取った経験からである。
そして、いつ「死」が来ても、自分の人生は楽しかった!良かった!と言えるように生きるようにしている。
人生、ワクワク・ドキドキ!
迷ったら、リスクのある方を選ぶ。
リスクの裏にはギフトがあるからである。
短期的に失敗しても、長期的には素晴らしい経験となる。
そして、なにより、後悔することがない。
私は、名誉欲も金銭欲もほとんどない。
興味もない。
ただ、フェアーでいたい、ということと、後悔する人生は嫌だと生きてきた。
自分という人生がいつ終わっても、「笑顔」でいれることを目標としている。
クライアントや悩んでいる方々。
自分の「人生」を生きていますか?と、私は質問したい。