「お金が欲しい」
「金運を上げて欲しい」
とお願いされます。
しかし、
すぐに
「お金」や
「金運があがる」
ことはありません。
「お金がない」
「金運を上げて欲しい」
とおっしゃる方々に共通しているのは、
「自分のお金」
のことだけです。
「他人に払うのは嫌」
「少しでも払いたくない」
と思って行動なさったりします。
それは、
結界的には、
「他の人々から、お金や時間を奪っている」ことになります。
その結果、違った形で
「お金」を払ったり、
「金運をさげる」ことに、
なります。
つまり、
「お金」
と言った直接的なものだけでなく、
「時間」
「嫌な出来事」
「病気」
「悩み」
などで、
支払うことになります。
神か、仏か、何でも良いのですが、
「お金」
や
「金運」
について告げることは変わりません。
「他の人々に損をさせてはいけません。自らが損を被りなさい」
と。
「一時的には、損をしたり、お金がなくなったりします。しかし、信頼や感謝が回って自分に来ます」
と。
だから、
私は、積極的に損を被っています。
一時的にではなく、ずっとお金がないのはご愛嬌でしょうね。笑。
しかし、そのおかげか、
病気も軽くすんだり、
家族も元気に暮らせていて、
「お金」という直接的なものではありませんが、「酷いこと」はありません。
神か、仏か、は常に伝えてくるのは、
「お金には念が入りやすい、適度に流せ」
というものです。
様々な方法があると思いますが、
具体的に、私は寺社で、皆さんのことを祈る費用に当てたりしています。
「情けは人のためならず」
とは、
「人に情けをかけてはいけない」
ではなく、
「情けは、人のためでなく、自分に回ってくるものだよ。だから、人を大切にしなさい」
と言うのが、本当の意味です。
いきなり、
「お金」がふったり、
「金運が向上」することはありません。
例外は、
「霊的に、自分の魂を売ってしまって(知ってか、知らずか)」、「お金」が入る場合です。
私は、神か、仏か、ろくでもないものか、何でも良いのですが、
「異性にだらしない」
「お金に汚い」
人間は、
「幸せになれない」
と告げられています。
だから、
私は、
「異性問題」
や
「お金」
には、綺麗で居たいと思っています。
今は、私のように「金銭」がなくても、将来は「金銭」を手に入れるかもしれませんね。笑
もしかしたら、一生貧乏かも知れませんが…笑。
それも、面白い人生だし、受け入れていけば良いと思っています。
「欲望」は程々に。